ヒトの能力: 2009年9月アーカイブ

カッツが整理した、テクニカルスキル、ヒューマンスキル、コンセプチャルスキルの分類は、多くのビジネスパーソンの現場感にも合うのではないでしょうか。

 

 

ただ、前の二つはともかく、最後のコンセプチャルスキルと何かを一言で説明するのはなかなか難しいものです。概念化をどう説明しますか?

 

 

ある企業の経営者候補を対象とした研修でのことです。自分の担当する事業を、10分間で門外漢に説明するというアサイメントを課しました。具体的には、自分の担当する事業をよく知らない新任担当役員に、事業概要を説明し、投資含めたサポートを引き出すような場面のロールプレイです。

 

 

皆さん頭に入っていることですから、一見簡単そうですが、実はものすごく難しいです。多くの方は、ミクロの説明をします。相手の基本知識理解レベルを考慮しないでミクロの説明をし、日頃の活動を描写したところで、全く門外漢には伝わりません。

 

このアサイメントで、説明のうまい方は以下の力が優れている方だと思いました。

1)   相手の理解度合を理解し、チューニングしていく能力(セルフモニタリング&フィードバック力)

2)   論理的に整理し、説明する論理的思考力

3)   全体像を鷲づかみにし、枝葉をバッサリ切り捨て、骨格を理解する能力

4)   上記に付随して、どの骨をどう動かせば他がどう動くかを的確に捉える能力(システム思考力)

 

3)がまさにコンセプチャルスキルだと思います。人間は思考するには、まず理解しなければなりません。これは、自分自身も相手も同じです。

 

そして、複雑な事象を理解するには、概念化が必要です。人間は、相当の基本知識がない限り、概念化しないと頭に入りません。(ちなみにフレームワークの効用は、概念化を助けるところにあります。)

 

つまり概念化ができないと、相手に伝えることもできませんし、自分自身の思考を深めることもできないのです。

 

 

ここで、鷲づかみをイメージしてみましょう。空中の鷲は、地上の獲物めがけて一直線に急降下し、一瞬にしてわずか三本の指で獲物を掴み、急上昇します。空中では獲物を落とさないように、強靭な指で、獲物を固定します。

鷲.jpg 

コンセプチャルスキルとは、このような無駄なく迅速に獲物の位置を捉える力、そして獲物が落ちないように、一瞬にして骨格を想定し、ポイントとなる部分を見つけ、そこに確実に爪を当てる力のことではないでしょうか。おかしな部分にどれだけ力を入れて掴んでも、空中では落してしまうでしょう。つまり、獲物を獲物全体として捉えるのではなく、骨格として捉えるわけです。この骨格に相当するものが、概念・コンセプトなのでしょう。

 

今、経営幹部候補にとって、鷲づかみにする力の開発は、最優先の課題だと思います。

 

熟達論の研究によると、熟達するまでに、

初心者→見習い→一人前→中堅→熟達 の5ステップがあるそうです。

 

そして、熟達者は、全体の約510%であり、「状況を的確に判断し、直感的に正確な判断ができる」人のことをいうそうです。ちなみに、中堅は「微妙な状況の違いがわかり、分析的に対応できる」そうです。

 

中堅では、「分析的」だったのが、熟達者では「直感的」というのが面白いですね。分析的というのは、全体を観た上で、部分に分解しながら詳細に観ていき、部分の変化や差異に反応するイメージでしょうか。

 

一方、直感的というのは、いきなり全体を観て、即座に全体も部分も把握し、反応していくイメージだと思います。

 

トヨタ生産方式のプロは、工場をざっと一回りしただけで、その工場の問題点を数多く指摘するそうです。他の分野でも、そういう人がいます。ぱっと、一瞥しただけで、何か変だと瞬間的に感ずるのです。仮に口では説明できなくても、何となく臭うのです。それが、分析ではなく直感の意味だと思います。

 

 

骨董の世界の目利きも、同じなのだと思います。青山二郎の言葉です。

 

「人間でも陶器でも、確かに魂は見えない所に隠れているが、もし本当に存在するものならば、それは外側の形の上に現れずにはおかない。」

 

ここでいう外側の形とは、全体像のことだと思います。たとえば、偽物をざっと一瞥した時、何となく不自然さを感じます。部分を詳細に観てもよくわからないのですが、全体を観ると何か違うといいます。

 

 

目利きが保有する脳の中の膨大なデータベースに、何かが引っかかり、それを「直感」と呼ぶのでしょう。身銭を切って買い、偽物をつかまされた経験を積まなければ、そのような骨董の目利きにはなれません。

 

 

目利きすなわち熟達者の領域に達するには、真剣に(身銭を切って)ホンモノに触れた膨大な回数と、そこでの多くの失敗経験が必要なのでしょう。

先日、田園調布の焼き鳥屋さんで飲んでいたところ、ふらっと長嶋茂雄さんが現れました。すると、なぜか拍手が巻き起こり、ほぼ全員が笑顔で迎え入れました。長嶋さんも、不自由な右手はポケットにいれながらも、笑顔で応え店長嶋.jpgの奥に進んでいきました。まさに観音様が現れたかのように、皆が幸せな気分になったようでした。

 

そういう気分に浸りながら、一方でこの力は何なんだと、頭の片隅で疑問が生じました。アンチ巨人の人でも、長嶋(敬称略。と書かざるをえない感じ)の悪口は言わないそうです。

 

 

また、9年連続200本安打を昨日達成したイチローの悪口を言う人もあまりいません。強い者、優れた者への嫉妬ややっかみなど当然の世界で、長嶋もイチローもそういう対象にはなりません。なぜなんでしょうか?

 

長嶋とイチローは正反対でありながら共通する何かを持っています。長嶋は天才ですが、イチローは天才ではなく努力と用意のひとです。イチローは、ダッグアウトで階段とスロープがあれば、必ずスロープを歩くそうです。階段のほうが怪我する可能性が高いから。自分のロッカー前の椅子も、他の選手はふかふかのソファを置いているのに、イチローはパイプ椅子です。その方が腰に負担が少ないから。一事が万事、すべて成果を出すことに集中しているのです。

イチロ.jpg 

長嶋は、自分のプレーを言葉で説明できませんが(失礼!)、イチローはすべてを合理的に説明できるそうです。

 

 

一方、二人に共通するのは、人々に勇気と希望を与えるということではないでしょうか。長嶋の魅力は、その人としての純粋さにあると思います。彼に接すると、観音様のごとく、自分自身も純粋に生きることができそうに思える、難しい世の中にあって、そんな勇気をもらえるように思います。

 

イチローからも、頑張る勇気をもらえます。非力で華奢な日本人でも、努力と節制次第で、誰にも負けない成果を出すことができる、素晴らしいロールモデルです。

 

このように異なる角度からではありますが、単なる実力以上の「何か」によって人々に勇気を与えることができる人、本当に素晴らしいですね。イチロー選手、9年連続200本安打達成おめでとうございます!!

学習にとって、他者からのフィードバックはとても大切です。自分自身のことは、なかなかわからないものなので、他者からの指摘がありがたいのです。

 

しかし、いちいち自分へのフィードバックを待っていても、そうそうもらえるものではありません。自分のことを気にかけてくれる人ばかりではありませんから。

 

そこで、「人の振り見て我が振り直せ」となるわけです。

 

 

集合研修と、eL等の個人学習の最大の違いはそこにあります。個人学習では、自分の考えしか存在しません。つまり、「人の振り」がないのです。

 

集合研修では、自分と異なる他受講者の意見を聞くことができます。そこには、自分が気づきもしなかった視点があることも珍しくありません。たとえ自分の考えの方が正しかったとしても、典型的な誤った考え方を知るも意味があります。多くの人がそう考えてしまうということを知っておくこと自体、今後コミュニケーションや、あるいはアドバイスする立場になった時に有益なのです。

 

 

研修で、グループ発表を行うことも多いですが、「中途半端で未熟な発表をいくつも聞いても時間の無駄だ、最初から講師が解説したほうが効率的だ」との意見もなくはないです。しかし、最初から正解を提示されても、ほとんど身に付かないのが実態です。自分自身が間違いを指摘され正される経験や、他の人が指摘を受ける様子をたくさん見る、「人の振りを見る」プロセスが非常に大切なのです。

 

 

言い方を変えれば、「人の振り」と「我が振り」を関連づける能力が高い人は、学習能力が高いといえるでしょう。あらゆる情報を、常に自分の問題解決に役立つかどうかという観点で接する。それが学習を促すのです。

 

本を読むという行為も、著者の「(思考の)振り」を見て、自分と関連づけ、自分の振りを見直すという意味では、同じですね。石ころまでも先生なのです。

世の中には、コンサルタントと名乗る人はごまんといます。別に国家資格や、条件など必要ないにも関わらず、なんとなく「エラそう」な印象を与えそうなので、好まれるのかもしれません。

 

ところで、コンサルタントの役割とはなんでしょうか?意外に明確には定義されていないようです。以下の三つに整理できるのではないでしょうか。

 

1)    ある分野の専門家として稀少な情報を提供する

2)    クライアントの診断をし、処方箋を与える

3)    クライアントが問題解決するプロセスを支援する

 

1)の専門家は、情報量で貢献し、2)の診断者は、クライアントの非日常を日常として、その症状にいかに対処すべきかの知識と経験を豊富に持ち、かつ適切な打ち手を選択することで貢献します。医師(広い意味ではコンサルタントです)や戦略コンサルタントはここです。3)の支援者は、クライアントに寄り添って、能力を最大限に引き出してあげることで貢献します。

 

それぞれ全く異なる役割なのです。とは、いいながら、医師は状況によって症例情報を豊富に持つ専門家にもなりますし、患者の自然治癒力を引き出す支援者にもなります。つまり、状況によって、適切な役割に切り替えることが出来なければならないのです。

 

では、いつ、どのように切り替えるべきと判断するのでしょうか?これは結構難しいです。支援者の役割として振る舞うべきときに、専門家ぶって情報(答)を提示してしまえば、もう自ら問題解決しようとはしなくなってしまうかもしれません。でも、どこかのタイミングでは、答えを与えたほうがよくなるかもしれません。

 

その判断をするための武器が、「問いかけ」なのだと思います。適切な問いかけをし、それへのクライアントの反応を見て、状況を正しく把握する。

 

 

では、適切な問いかけを、どう選択するのか?これまた難しい問題です。

 

 

 

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