ヒトの能力: 2010年11月アーカイブ

「戦争論」で有名なクラウゼビッツは、圧倒的物量によって正面撃破する合理的戦略で有名ですが、実は軍隊を率いる将の精神力を第一に重視しています。精神力はスポーツの世界でも常に強調されますが、素人が思う以上にやはり大きな影響を及ぼすのでしょう。昨日のスポーツニュースを観てあらためて感じました。

 

大相撲では、白鵬関が平幕の豊ノ島関との優勝決定戦に勝って優勝しまし

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たが、やはり何といっても二日目の連勝ストップが最大の話題でした。九州場所前に、大分の双葉山の生家を訪れたことが大きく報道されました。尊敬する双葉山の故郷に近い今場所で、連勝記録を破ることを意識しての訪問だったのでしょう。しかし、どうもNHKに協力したという雰囲気を感じていました。連勝達成した直後の特別番組での絵柄としては申し分ないものでしょう。名古屋場所でNHK放送が中止されたのも影響したのかもしれません。ちょっと、いやな予感がしました。

 

しかし、連敗せず優勝したのは素晴らしい精神力です。優勝後のNHKニュース番組でこう語ったのが印象的でした。

「今年はいろいろあって、横綱として最後を締めてやるという気でした。しかし、一人横綱の重圧は予想以上だった。大関の時は横綱になっても大して変わらないと思っていたが大違い。また、朝青龍関がいるときは、一人横綱が大変とは全く思わなかった。しかし、朝関が引退して最初の場所の初日、全くそれまでとは違っていた」

 

横綱はスポーツ競技のチャンピオンとは違い、責任を伴うものとはよく言われます。だからこそ、ここまで重圧を感じるのでしょう。また、こうも言っていました。

 

「正直、この苦しみを分かちあえる新横綱の誕生を待ち望んでいます。でも、そういうものが出てきたら、絶対上げさせないように勝負にいきます」

 

一見矛盾したこの言葉に、横綱の苦しみとプライドを強く感じました。

今回も63連勝も、ライバル朝青龍関がいなくなったからできたとの見方もあるでしょう。しかし、真実はその反対だったと思います。「朝青龍関がいなくなったのにも関わらず」の連勝は讃えられてしかるべきです。優勝インタビューで、対戦した豊ノ島関をたたえていたのも印象的でした。重圧とそれを乗り越える精神力にこそ偉大な人間の力を感じさせ、観る人を感動させるのです。

 

いっぽう、もう一人のチャンピオン、浅田真央選手は昨日も大不調でした。練習で出来ることが試合でできない。技術よりも精神力なのでしょう

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が、ここまで影響が大きいとは・・・。いっそのこと試合に出なければとも思うのですが、試合で今の苦労を味わい克服しなければ、復活できないものだと考えられているのでしょう。トリノオリンピックの頃の安藤美姫選手も同じような状態でした。これを乗り越えてこそ、正真正銘のチャンピオンになれるのです。痛々しいですが、復活を心から祈りたいと思います。

先ほどNHKでワタミの渡邉美樹会長が中学生と対話する番組 「シリーズ 未来をつくる君たちへ」をやっていました。

21世紀の君たちへ」という司馬遼太郎の著書をモチーフにしたものです。

司馬の「竜馬がいく」の愛読者である渡邉会長が、龍馬の実家の近くにある高知市立城西中学校の生徒15人くらいと、龍馬ゆかりの場所を訪ねて対話していきます。

 

まず、1年から3年まで混じった15人というのがいいです。この手の番組では、得てしてあるクラスを対象にすることが多い中で、この編成は密な対話を促すには最適に感じました。渡邉氏がどの生徒とも君付けで呼び合える関係ができていました。

 

さて、まず渡邉氏は、こう持論を述べます。

「龍馬は他人のために頑張ってきたのではなく、自分がやりたいことをやり続けたに過ぎない。最近そう感じるようになってきた」

暗に、自分もそうだった。生徒たちも、自分が好きなことを見つけてそれに打ち込むべきだとの、メッセージが予感されます。

 

それに対して、すかさずある女生徒が反論しました。

「父は、自分のためでなく他人のために生きなさいといつも言っています。そういう助け合う社会ではないでんでしょうか?」

 

渡邉氏は他の生徒に振ります。すると、その男子生徒もいいます。

「僕も、人のために生きるべきだと思います。そのほうがいい社会だと思います」

 

渡邉氏は一瞬、本気になったように見えました。

「僕が中学校の時には、いっさいそんなことは考えなかった。そうか?みんな自分のことが一番じゃないのか?」

 

主客逆転といったところです。しかし、その後の渡邉氏はさすがでした。

スタッフにグラスと水を持ってこさせ、グラスに水をいっぱいまで注ぎ、言います。

「グラスは一人ひとりだ。水はお金とか地位とか名誉、なんでもいい、欲しいものだ。グラスがいっぱいになっても、グラスを大きくすればまだ水は入れられる。大きくしなければ、こぼれ落ちる。こぼれ落ちた水をまた別のグラスに集めればみんなに水がいきわたる。会社も社長が独り占めしたら社員は辞めていき、結局社長も何も得られなくなる。みんなのためにするということは、まず自分のグラスを満たして、それを独り占めせず他の人にも水が回るようにすることだ」

 

ここに渡邉氏の哲学を見たような気がしました。中国の「まず豊かになれるものから先に豊かになれ」という近代化論を思い起こさせました。

 

「人間は平等ではない。走るのが速い子も遅い子もいる。でも、悲観することはない。夢を達成するのが幸福ではない。夢を追い求めることが幸福なんだ」

とも言いました。

 

生徒たちがこのような言葉に納得したかどうかはわかりません。でも、自らの体験に基づいて熱く語る渡邉氏の言葉に、何かを記憶に残すことには成功したのではないでしょうか。

 

渡邉氏は終始対話を通じて、龍馬が遠くの海を見て夢を抱いたように自分が本当に好きなことを見つけて、それに向けて頑張り続ければいいことを強調しました。

 

最後に、スタッフが最初に質問した女生徒に、対話を通じて何を学んだか尋ねたところ、こう応えました。

「自分の夢を追い求めれば、それが他の人のためにもなるということがわかりました」

 

さすがに渡邉氏は大した先生だと感心しました。

7月に90歳で亡くなった梅棹忠夫さんの実質的最後の著書「梅棹忠夫 語る」(日経プレミアシリーズ)を、感慨を持って読みました。

梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)
小山 修三
4532260973

 

そこでいいリーダーの条件を問われ、

「フォロワーシップを経験し理解することやろな」と答えています。

彼がそう思うに至ったのは、山岳部での経験によるものです。

 

「計画を立てた人がリーダー、それに合意してフォロワーとなる。フォロワーシップとは盲従ではない。自分の意志や判断は持つけれども、隊長には従う。山には危険がいっぱい、時には命にかかわることもあるからな」

 

旧制三高山岳部で今西錦司さんをリーダーに招きます。そして、今西さんに多くを学んだそうです。しかし、こう言います。

 

「今西さんに育成されたのではなく、推戴したのや。弟子ではなく契約、ゲマインシャフトではなく、ゲゼルシャフト集団です」

 

旧制三高では、新入生からいきなり、先輩にいっさい敬語を使ってはいけない、「さん」づけもダメ。全部呼び捨てにしていたそうです。敬語が暗に示す上下関係はゲマインシャフトの象徴であり、それでは山での冒険を生き延びることができないとの判断なのでしょうか。強烈な目的志向です。

 

翻って企業でも、危機が突然おとずれる可能性が著しく高まっています。村落共同体的組織では、生存が危うくなりつつあります。そういう状況のもとでは、リーダーの力量が重要になってきており、優れたリーダーを輩出するにはどうしたらいいかが、最重要の経営課題になっています。

 

リーダーシップ教育があちらこちらで叫ばれていますが、その前にフォロワーシップ教育が必要なのではないでしょうか。梅棹さんが言うように、フォロワーシップの理解や経験がないまま優れたリーダーになれるとは思いえません。リーダーも常にフォロワーでもあるわけですし。盲従ではない、ゲゼルシャフト集団におけるフォロワー教育こそが現在求められているのではないでしょうか。

すでにどちらも少々旧聞に付すようになってしまいましたが、チリ・サンホセ鉱山からの救出劇と、メキシコ湾沖原油流出事故ほど、対象的なリーダーの能力を見せ付けられたことは近年ありません。

 

救出された現場監督ルイス・ウルアス氏は、極限状態の中で的確な判断を

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続け好例でしょう。危機の中で新たな管理体制を築き、鉱夫を3チームに分けそれぞれにルーティーン業務を割り当てました。食糧の配給も、見通しに合わせてその量をコントロールしていました。地底での意思決定は一人一票として、団結を最優先しました。絶望の中で、秩序と規律と団結を生み出したのです。そして、何により力になったのは、彼が最後まで救出用カプセルの乗らなかったことに象徴されるように、メンバーに奉仕する姿勢です。

 

また、初めて地上と交信が取れたとき、こう発しました。「我々は大丈夫だ。助けを待っている。」大丈夫なはずはありません。泣き叫んで助けを求めても不思議ありません。しかし、他のメンバーを平静に保たせるように、自制した発言をあえてしたのでしょう。

 

一方、原油流出を起こしたBP社のトニー・ヘイワードCEO。彼は事件発生後こう発言しています。

 

「メキシコ湾はとても大きい海だ。流出した原油と分散剤の量は、海水全体の量と比べれば微々たるものだ」

「私はこの災害の環境への影響は恐らく非常に小さいと思う」

「誰よりもこの問題の終結を望んでいる。私は自分の生活を取り戻したい」

 

最後の発言は、数年前不祥事を起こした食品会社社長が、「私は寝ていないんだ!」と叫んだシーンを思いおこさせます。また、福田元首相がしつこく質問を繰り返す記者に、「私はあなたとは違うんです」と発言したことを思い出しました。平静の時であれば、彼らもこんな発言をすべきでないことを認識しているはずです。しかし、極度のプレッシャーは、リーダーの判断力を奪うのです。

 

ウルアス氏とヘイワード氏の差は何だったのでしょうか?胆力、ストレス耐性、経験などいろいろ考えられますが、つきつめれば、「人としての品格」なのではないでしょうか。もう少し言い方を変えると「美意識」といえるかもしれません。真かどうか、善かどうかの基準ではもはや判断できない状況はあると思います。最後の最後は、美でしか測れないような気がします。

一方通行の講演とインタラクティブに進める研修、どちらが講師として難しいでしょうか?私は、演者としても企画者としても講演の方が難しいと感じています。研修であれば、受講者の発言や反応で、進め方や内容の修正は十分できますが、講演の場合は、いったん始めれば修正ができません。

 

従って、講演の勝負は事前情報の把握で大方ついてしまいます。受講者の期待は何か、どの程度の成熟度なのかを見極めておくことが重要です。それがずれてしまうと、「自分達と時代も業界も違い過ぎるので役に立たない」と言われたり、あるいは「机上の空論だ。現実はそう簡単ではない」といった反応をもらうことになります。

 

受講者の成熟度とは、講師の話に関連する体験を持つかどうか、講師の体験談や自分の経験を概念化できるかどうか、講師の話を自分の問題に結びつける感受性をもつかどうか、といった点で評価できるでしょう。

 

さて、講演で講師が話すパターンは、以下3つのうちのどれかです。

①自分の体験談をなまなましく語る

②自分の体験に基づいて概念化した持論を解説する

③一般理論を(多少の解釈を加え)解説する

 

①体験談にフィットするのは、その講演テーマに対して必ずしも明確な問題意識を持っているわけではないが、成熟度が非常に高い受講者です。自らの体験と照らし合わせて、自分自身で概念化できます。聞き手に概念化を委ねることで、最も大きな学びを促すことができます。学びの材料をできるだけたくさん提供することが喜ばれ、そしてなまなましい体験談の情報量は非常に多いのです。

 

②体験に基づく持論にフィットするのは、問題意識を持って聴き、成熟度もある程度高い受講者です。講師の持論の範囲内ではありますが、自分の経験と重ねることで共感を得て腑に落ちるので、情と理の両面から納得感が高くなります。

 

③一般理論にフィットするのは、問題意識は持っているもののあまり成熟度が高くない受講者です。わかりやすく解説してくれて、理論を理解し使えるようであれば使いたいと思っています。講師の体験の多寡はあまり関係ありません。ビジネスHow-to書を求めるのと同じ感覚かもしれません。一方、問題意識が明確で成熟度も高い受講者が、「一般理論」にフィットすることも多いです。大学教授の講演を聴いて「目が啓かれた」と自叙伝に書いている著名な経営者は大勢います。自分と結びつける能力が高いので講師の体験は問いませんが、講師の理論理解に「深さ」を求めます。

 

 

講演も研修も、講師から受講者へ何らかの情報を提供することで、受講者の内面に心理作用を起こし、その結果として意識や行動に「変化」を促すことと言えると思います。内面での心理作用の起き方は、その集団の特性に応じて異なるので、それを踏まえての設計や対処が、プロの講師と企画担当者には求められます。「講演は、全員を満足させようと思う必要はない。わかってもらいたい人に伝わればいい」という人もいますが、一人でも多くの人を満足させることを目指す努力はすべきだと思います。

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