ヒトの能力: 2011年1月アーカイブ

ビジネスの世界で永年人材開発関連の仕事に携わっていると、そこには大きく三つの流れというか流派みたいなものがあること見えてきます。私が勝手に名付けたのですが、「コンテクスト派」と「気づき派」と「ビジネス・スキル派」です。それぞれには、寄って立つ主張があります。

 

●コンテクスト派

人は、所属する組織の中で業務経験を積み、上司をはじめ周囲の人々との相互作用を通じて成長し、能力を高めていく。その組織の文化や規範、スタイルなど時間をかけてじっくり内面に取り込んでいくことで、個人の成長と組織の成果が両立する

 

●気づき派

人はどれだけ周囲から指導や教育されたところで、自分自身が本気で納得しなければ考え方は変わらないし、もちろん行動も変わらない。つまり、高い成果を出すためには行動を変えなければならないし、行動を変えるには考え方をなければならない。そして考え方を変えるには、「気づき」がなければならない。内面での深い「気づき」を得るには、通常と異なる体験や、前提の異なる第三者からの刺激が大切

 

●ビジネス・スキル派

ビジネスパーソンとして高い成果を出すには、企業によらず共通のスキルが必要。そのスキルは教育機関などで習得できる。それはビジネス理論やノウハウだけではなく、「成功者」が保有している思考パターンや行動特性、あるいは特殊なノウハウなども含む。権威やカリスマに弱い、いわゆる「自己啓発派」という分派である。「学習」実感を得やすいことが特徴。

 

それぞれに一理ありますが、限界もあります。コンテクスト派では、環境変化への対応が困難です。また気づき派は、外部から意図的に働きかけることが難しく、また自分自身どうすればいいのか迷うことが多いでしょう。隔靴掻痒の感があります。逆にビジネス・スキル派はやるべきことや学習している感は得やすいのですが、それが本当に有効なのかには、慎重な判断が必要です。それを怠ると、組織内で「頭でっかち」だとか「理屈野郎」などと阻害され、仕事で成果を上げられなくなってしまいます。

 

人材開発を外部から支援する機関も、上記三つの流派に色分けできるでしょう。また、企業内で人材開発を担当する人も、それぞれに好きなタイプがあるようです。しかし、当たり前ですがどれも重要なのです。問題は、それぞれを適材適所で使い分けられるだけの知恵を持っているかどうかです。さらには、三流派を融合させて問題解決に当たるための構想を描けるかどうかです。これからは、そこでの勝負になっていくことでしょう。

今朝の朝刊に、プロ棋士が対局の際に脳のどの部分を使用するかを、理化学研究所がfMRIを使って調べた記事がありました。一部抜粋します。

 

プロ11人とアマチュア17人に「序盤」「終盤」などの意味のある盤面を見せると、視覚に関連する大脳皮質の「楔前部(けつぜんぶ)」と呼ばれる部分の活動の強さがプロではアマチュアに比べ3倍に達した。盤面を見た瞬間に状況を把握する能力を反映したと考えられるという。ランダムな盤面だと、どの棋士も活動がほとんど変化しなかった。

 プロ、アマチュア17人ずつを対象にした詰め将棋の実験で次の一手を考えてもらうと、プロは習慣的な行動にかかわるとされる「大脳基底核」の一部の働きが活発化していた。活動が強いほど正答率は高かった。アマチュアはこの部分がほとんど活動していなかった。大脳基底核の一部は直観的な脳の働きにかかわっているとみられる。

 

(日経朝刊より)

 

とても面白い実験ですね。何の分野でも熟練の達人は、一瞬にして結論を出せるといいます。つまり考えて判断しなくても、勝手に結論が出てくるイメージでしょうか。

プロ棋士は盤面を見た瞬間に、視覚に関連する大脳皮質の「楔前部(けつぜんぶ)」で過去のあらゆる盤面を想起するのではないでしょうか。つまり記憶の多数の盤面を見るのです。

 

そして判断などせずに、大脳基底核で即習慣的行動に入る。ピアニストが弾くときに反応する部分だそうです。ピアニストは次にどの鍵盤を弾こうかなどとは考えていません。想像するに野球のバッターが来たボールを打ち返すときにも、同じ部分が活性化するのではないでしょうか。肉体と頭脳と、一見異なるところを使用していますが、きっとそれらと同じことが棋士にも起きているのでしょう。

 

いずれも、判断ではなく直感、思考ではなく反応です。長年の訓練により、超高スピードの判断が習慣的行動に組み込まれたと考えることができるかもしれません。職人は、考えているようじゃだめだとよく言います。体も頭も同じなのです。


スズキ自動車の鈴木会長は、工場内をざっと一周歩いただけで、数十もの改善点を指摘するそうです。探すのではなく、勝手に目に入ってくるのでしょう。その時も、楔前部と大脳基底核が活性化しているに違いありません。

 

では、どうすればその境地に達することができるのか。最初は、「注意深く見る」、「これまでの類似事例を思い起こす」、「その中から最も使えそうな事例を選択する」、「それに即して判断する」を、ひたすら数多く繰り返すしかないでしょう。それがある臨海点に達すると、その4つのステップが、無意識に習慣化された一瞬、すなわち「直感」に結実するような気がします。「ローマも一日にして成らず」で、物理的な時間(5年なのか10年なのか30年なのかはわかりませんg)は絶対必要です。


もし、それを短縮したいと思えば、誰しも24時間は一定ですが、その中で「見る」や「判断する」などの回数を絶対的に増やすしかないと思います。それを規定するのが、努力する才能なのでしょう。

 

もうひとつ、的を射た「直感」を生み出す環境整備も意味がありそうです。つまり、直観に至るまでの「ルーティーン」を決めておくことです。そのルーティーンに入った時点で、直感を生む場に入ると、無意識に自分に言い聞かせ、暗示にかけるのです。イチローがバッターボックスに入ったときに必ずする仕草がそれです。戦国時代の武将が、戦場に赴く前にお茶を立てたり、あるいは仕舞を待ったり謡ったりしたのも、不確実性の高い戦場で直感を発揮させるためのルーティーンだったのかもしれません。

 

日本国内の生産者人口すなわち消費が活発な人口が減少し続けることが明らかな状況において、企業は海外あるいは外国人に目を向けざるを得なくなっています。これまでも、もちろんグローバル化だとは言われてきましたが、それは大きな日本市場に追加する限定的な市場(しかも日本と同レベルの先進国市場に限る)という意味合いが、暗にはあったと思います。しかし、人口減少が始まった現在、グローバル化ははるかに深刻な意味を持ちます。

 

楽天やファーストリテイリングが英語を社内公用語にすると決めたのは、その文脈でとらえるべきでしょう。でも、議論が英語という語学の問題だけに向かうとしたら、ちょっと違うのではないかと思います。

 

最も重要な問題は、異文化のもとで適切なコミュニケーションが図れるかどうかであり、語学以上に影響が大きいのは異文化リテラシーを持っているかどうかだと思います。ここでいう異文化リテラシーとは、以下3点のセットだと考えます。

 

①自分がどのような文化的背景を持ち、それがマインドセットにどう影響しているかを認識すること

②他者が同様にどのような文化的背景を持ち、現れている言動がどのようなロジックに基づいているのかを理解すること

③双方の文化を尊重しつつ、創造的な解決策を生み出すこと

 

このような思考パターンが取れなければ、たとえ語学が流暢であったとしても、業務で成果を出すことはできないでしょう。

 

語学はもちろん手段としての必要条件ですから、語学とセットで異文化リテラシーを習得すべきなのでしょう。

 

さらに言えば、異文化とは国や民族のことだけではありません。例えば、新入社員にとって上司は異文化の対象ではないでしょか。私はそうでした。その頃新人類という言葉がありましたが、まさに双方が異文化だと認識していたわけです。男女もそうですよね。

 

そうなると、会社や仕事の内容に関わらず、異文化リテラシーはビジネスパーソンにとって必須のスキルになるのではないでしょうか。

年末年始は、普段あまり見ないTVを観るため、いろいろ発見があって面白いです。NHK-BSでイチローのインタビューをやっていました。もちろん、イチローの話はとても興味深いのですが、イチローへのコメントをしたピート・ローズ

の話が印象に残りました。彼のメジャー通算安打4256本は、

不動の大記録です。

うろ覚えですが、こう語っていました。

 

「私が記録を打ち立てることができたのは、能力が他の選手より高かったからではなく、欲望と情熱が他の選手よりも大きかったからだ。普通の選手は、自分の能力の範囲内で欲望を抑え、そしてその欲望に基づいて情熱を持つ。つまり能力、欲望、情熱の順番で小さくなっていく。

しかし私は違った。まず情熱があり、それを活かすために欲望があり最後に能力がついてきた。試合に出なければヒットは打てない。だから、先発を外されたら監督の足をひっかけ転ばしてやった。そうすると、しぶしぶ監督は出場させてくれたものだ」

 

 

ある程度大人になって、自分の身の程をわきまえるようになると、まず能力から考えてしまうものです。能力が足りるかどうか、当たりがつくようになるからです。そうなると、出来ることの中から欲望が湧くことを選び、それに必要な情熱を傾けるようになるのでしょう。現在の能力が行動を、そして成果を規定するわけです。

 

それに対して子供や若者は、できるできないに関わらず、理屈なしに「やりたい!」という情熱がスタートにあります。ピート・ローズは、とにかく試合に出てヒットをたくさん打ちたいという情熱を持ち続けました。たぶん、ヒットの記録を打ち立て、年棒を大幅アップさせたいとか名前を残したいとかの欲望は、二の次だったでしょう。そのために、(やむを得ず)能力が高まっていったのではないでしょうか。ちょうど、やたら虫が好きな子供が、虫の知識に関しては誰にも負けないくらいの博識になってしまうように。

 

大人はもう子供にはなれません。ただ、子供や新人の頃に持っていた情熱を思い起こすことはできるでしょう。そして、今の能力を前提として考えるのではなく、そんなことを忘れてとにかく情熱に従ってやってみる、ということも時には必要なのではないでしょうか。そのためには、自分が情熱を注ぎこむことができる対象を改めて見つめてみるのも悪くはありません。

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