ヒトの能力: 2011年3月アーカイブ

今回の震災は、日本だけでなく世界中に「共感」という感覚を思い起こさせているような気がします。これまで、共感はそれほど重視されてこず、合理性が幅を利かせていたのではないでしょうか。代表的な言葉が、「自己責任」です。

 

日本で自己責任が謳われるようになったには、バブル崩壊以降でしょうか。小泉改革の頃かもしれません。政府の審議会委員を務めるある女性経営者が、「正社員になれず生活が安定しないのは、本人が必死で頑張らないからだ。自己責任だ」というような発言をして、話題になったことを覚えています。その方は、派遣会社を経営していましたが・・・。

 

こういう考え方は、資本主義体制を取るからにはやむを得ないと考えがちですが、必ずしもそうではありません。『国富論』を著したあのアダム・スミスは、『道徳感情論』をこういう文章で始めています。

 

人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、明らかに人間の本性の中には、何か他の原理があり、それによって、人間は他人の運不運に関心を持ち、他人の幸福を -それを見る喜びの他には何も引き出さないにもかかわらず-自分にとって必要なものだと感じるのである。この種類に属するのは、哀れみまたは同情であり、それは、我々が他の人々の悲惨な様子を見たり、なまなましく心に描いたりしたときに感じる情動である。我々が、他の人々の悲しみを想像することによって自分も悲しくなることがしばしばあることは明白であり、証明するのに何も例をあげる必要はないであろう。

 

彼はこういう感情を「同感」と呼びました。人間は、他人の喜びや悲しみ、怒りなどの感情を自分の心の中に写しとり、想像力を使ってそれらと同じような感情を引き出そうとする力を持っているのです。(以下、同感を共感と同じとして扱います)

 

人間は利己的であり、かつ同感する能力を持っている。どちらかだけではないのです。ただ、時にそのバランスを崩すことで周囲に悪い影響を与えることがあります。(そこで、スミスは「胸中の公平な観察者」という概念提示します)

 

寅さんは同感が強すぎて、柴又には長く留まれず放浪を続けます。またドストエフスキー著『白痴』では、同感のかたまりのような善良で純真なムイシュキン公爵が周囲を結果的に不幸に陥れます。迷惑な利己主義者は、あえて例を挙げるまでもないでしょう。また、適度な利己主義が社会を進歩させることも事実です。結局、すべてはバランスであり、何かの出来事をきっかけに、振り子のように左右に触れるものでもあるようです。

 

2008年のリーマン・ショックと今回の震災は、世界を共感側に振らせる役割を果たすのかもしれません。そして、誰でも情報や映像を世界中に簡単に公開できる現在の技術環境は、振り子の触れを大きくする効果があります。

 

ところで、震災と連動して起きた福島原発事故は、世界中に恐怖心を一気に拡散させています。これは同感を引き起こす面もありますが、それ以上に事故に対応する日本政府や東電、場合によっては買いだめに走ったり公式見解に盲従する国民の反応を見て、日本という国を見限る、すなわち相対的な自国の優位性を確認するという利己的な感情を引き起こしかねないのではと心配です。

 

そうならないように、同感とは別に冷静に事態を観察し、合理的な問いを投げかけ独自に判断する冷静さが必要な局面が、少しずつ近づいているような気がします。

研修では育成は無理だ。結局現場で苦労させて修羅場体験をさせなければ、人は育たない。常に聞く言葉です。全く同感です。人が育つのは現場においてであり、研修はその後方支援にしかすぎません。

 

では、現場で苦労させればそれでいいのでしょうか。当たり前ですが、苦労の質によります。ビジネスパーソンで、現場で苦労していない人などいません。では、どんな苦労が人を成長させるのでしょうか。

 

今日から日経朝刊「私の履歴書」は、安藤忠雄さんです。とても楽しみです。今日の回でも、いろいろ面白いことが書かれていました。建築家とは

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一見かっこよさげに見えるかもしれないが、一に調整、二に調整だとありました。考えてみれば、施主と工務店などとの間に入る仕事です。夢を語る施主ほどおカネを持っていない、とも書かれています。自分の経験を思い出し、思わず納得。だからこそ、そこに価値が生まれるのです。もし、最初から調整も不要、費用と期待が合致していたら、大した価値も付けられず、やりがいもプライドも持てないでしょう。それ自体、他のどんな職業でもいえることです。

 

さて、学歴も経験も実績もコネもない安藤さんがここまで来られたのは、ただこいつは面白そうだということだけで仕事をさせてくれた、大阪の施主さんたちのおかげだと書かれています。看板がない状況で仕事をするということは、ものすごく大変なことです。最終的には頼るものは自分自身しかありません。そのためには、あらゆる努力が必要です。これこそが、人を成長させる「苦労」なのではないでしょうか。

 

私の周囲にも、大きな看板を持たずに独力で活躍している方は大勢います。一方で、大きな会社の看板を背にして、とても大きな仕事をしている人も大勢います。どちらも素晴らしいことです。後者の人は、看板を利用しているものの、看板に依存してはいません。しかし、大きな看板だけを頼ってぬくぬくしている人もいなくはありません。それで成長するのは無理というものでしょう。

 

本当に成長させようと思うなら、一度看板が効かない世界、あるいはこれまでの強みが活きない世界に放り出すことです。それがある程度計画的にできることが、日本の大企業の最大の強みだと考えます。

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