ヒトの能力: 2011年4月アーカイブ

高峰秀子を特集した番組、「邦画を彩った女優たち『高峰秀子と昭和の涙』」が昨晩NHKBSプレミアムで20時から1時間放映されました。しかし、恥ずかしながら我が家はBS映らないので、近所のスポーツクラブに出かけ、そのランニングマシンで歩きながらマシンに設置されている小型のTVで観たのです。高齢になっている関係者(かつての助監督や髪結いさん)のコメントも多く、なかなか興味深かったです。

 

そのうちの一人、俳優の宝田明さんのコメントです。「放浪記」で、宝田は高峰のだめ亭主役を演じました。ふらふらしている宝田を責める高峰に対し、我慢しきれなくなった宝田が殴る蹴るをするシーンについて語りま

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した。

 

「朝からそのシーンの撮影を続けたが、成瀬監督はOKを出してくれない。自分でもどうしたらいいのかわからなくなってしまって、とうとう高峰さんに尋ねたんです。『先輩、どう演じたらいいのかわかりません。どうすればいいか教えてください』それに対し高峰さんは、『どうすればいいかわかっているけど、教えてやんない』と冷たくあしらわれました。なんでそんな意地悪をするんだと、頭が真っ白になってしまって・・・、それで再び撮影に入りました。わけもわからず演じたら、成瀬監督が『いいねえ、それでいいんだ』とOKを出したのです。その後、役者を続けていく上で、その時の高峰さんの言葉がずっと心の支えとなりました」

 

高峰は宝田にふたつのことを教えたのだと思います。ひとつは、俳優は演じていてはだめでその役になりきるのだ、ということ。そのシーンで、宝田は先輩である高峰を殴る役を演じようとしても演じ切れないと、高峰は認識したのです。そこで、バカにしたような言葉を投げかけ、宝田の怒りに火をつけたのでしょう。宝田はまんまと術にはまり迫真の演技をした。番組でそのシーンが流れましたが、たしかにそのシーンは本気でした。

 

それには伏線があります。木下恵介監督の助監督だった方がこうコメントしていました。名作「二十四の瞳」の主演を木下が高峰の依頼したときのことです。

 

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「監督は高峰さんにこう言いました。『でこちゃん、僕はもう騙されないからね。今回の映画は本気でやってもらわなきゃ。』これまでの高峰さんの演技はつくったものだった、撮影時には気付かなかったけど。でも、つくった演技では今回の映画は通用しない。本心からの高峰秀子をさらけ出してもらうと、監督は言いたかったんだと思う」

 

それほど高峰は演ずることに長けていたのです。でも、それではだめだとも分かっていた。そんな自分の経験を踏まえての、宝田への言葉だったのだと思います。しかも、宝田にそういうことで、彼の演技が変わると高峰は見透かしていたこともすごい。共演者の性格や心理状態などを理解し、洞察する力があったのです。

 

 

ふたつめの教えは、安易に答えを教えてもらうことへの戒めではないでしょうか。宝田が役者として大成するには、徹底的に自分の頭で考えることにこだわることが必要だといいたかったのではないでしょうか。安易に人に教えてもらおうなんて思えば、本当の成長はできないと。宝田のいう「俳優としての心の支え」とはそのことなのではないかと推察します。高峰は、宝田がそれを咀嚼する能力があると洞察したうえでの発言だったと思います。

 

「わかっているけど教えてやんない」という一言が、宝田の人生を変えたと言って過言ではないでしょう。こんなに素晴らしい「教育」はない。それができた高峰秀子の賢さ、相手を慮る心、本当に偉大な人だったと思います。

 

懇切丁寧に教え諭すことは決して教育ではありません。適切な時に、響く一言を発することで、相手の思考や感情に大きな影響を与え、自身で「気づく」ための経路をつくる、それが正しい教育の姿だと、高峰に教えてもらったような気がします。

原発の安全神話が、今問われています。日本人はなぜか多くの「神話」を持つ国民です。そこで、神話について考えてみたいと思います。

 

私にとっての最初の神話への疑問は、駆け出しのコンサルタンント時代です。ある不動産が絡むプロジェクトを担当していました。その中で、今後の地価の推移が重要なイシューとなっており、バブル最盛期の当時、誰もが安定的伸びを前提にしていました。議論は今のように毎年10%以上で伸びるか、それとも5%程度かといった、伸び率の大小でした。

 

非常に合理的で賢い人たちで、このような議論をしていることに少し違和感を覚えました。というのは、その2,3年前まで銀行で不動産担保融資を担当していたからです。新卒で何も知識がない私にとって、そこまで地価が上昇することを前提に融資していいものだろうか、との素朴な疑問が湧いたのです。今思えば、あまりに無知だったので「土地神話」なんて知らなかったわけです。

 

地価上昇を信じたい銀行員にとっては、土地神話はありがたいものでしたが、そういう立場ではないコンサルタントも同じような土地神話を信じていることに驚いたのです。

 

さて、なぜ神話は生まれ信じられるのでしょうか?一つには願望です。多くの人々が「そうあってほしい」を思えば、その概念が「共同幻想」となって一人歩きを始めます。二つめは、「空気」の醸成です。つくられた共同幻想が、もはや特別の存在ではなく、空気となって人々の頭を覆い尽くすのです。三つめは、「大数への信頼」、つまり「多くの人がそう考えているのだから、そうに違いない(偉い人もそう言っているし)」という心理です。四つめは、「言霊信仰」。ご存知の通り、日本人は古来「ことば」を発してしまうと、それが実現すると信じてきました。今の時代にばかばかしいと思うかもしれませんが、今でも心の奥には間違いなく存在しています。

 

原発の安全神話が好例です。経産省も電力会社もずっと安全だと言い続けてきました。もちろん少しでも安全になるように、あらゆる努力を続けてきたことでしょう。しかし、万が一事故が起こり放射線がまき散らされたとき、どのような対応をすべきかのシナリオは存在しなかったようです。食物の放射線に対する安全基準がなく、事故発生後数週間たってあわてて暫定基準なるものを設定することがその証拠です。なぜ、そんな当たり前の準備をしていなかったのでしょうか。私は言霊信仰を感じます。絶対安全なんだから、放射線拡散なんて考える必要がない。もしそんなことを口に出して考えてしまったら、本当に起きてしまうじゃないか。そんな心理が原発を推進する側に働いたのではないでしょうか。多くの人々が、そういう言霊に縛られ「空気」にさらされたら、それに抵抗することは並大抵のことではありません。それに対抗しうるのは、冷徹なロジックであり、その集大成である科学のはずです。しかし、そうはなっていない。一見科学的ですが、本質は非常に情緒に流されていた。そこには、政治や利権、名誉などあらゆる非科学的な欲望が関わっていたのかもしれません。科学の粋を集めた原発の事故、なんて皮肉なものでしょうか。

 

だからと言って、大震災からの復興を考えるに、合理性や科学だけで解決できるわけもありません。それに加え、素朴な人の心や直感、過去からの慣習や歴史など、あらゆる人間の知恵を総動員しなければなりません。そこには、日本人だけでなく、海外からの多くの知恵も加えるべきでしょう。そういう姿勢を期待したいものです。

 

 

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渋谷駅コンコースに、岡本太郎作『明日の神話』が異様な存在感を持って設置されています。この作品は原爆の恐怖を描いたものですが、なぜ「明日」の「神話」なのでしょう。神話はただ過去のものではなく、未来に語り継がれるものだとの意味なのではないでしょうか。そしてもうひとつ。ここから新しい神話が創造される、その出発点だとの思い。岡本敏子さんはこう書いています。

 

だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、
酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。
巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。
にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、
末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、
びっくりしたように下界を見つめている。
外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。
画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、
それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。
残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、
誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。
絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。
テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、
地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。
こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。

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