「目利き」となるには

熟達論の研究によると、熟達するまでに、

初心者→見習い→一人前→中堅→熟達 の5ステップがあるそうです。

 

そして、熟達者は、全体の約510%であり、「状況を的確に判断し、直感的に正確な判断ができる」人のことをいうそうです。ちなみに、中堅は「微妙な状況の違いがわかり、分析的に対応できる」そうです。

 

中堅では、「分析的」だったのが、熟達者では「直感的」というのが面白いですね。分析的というのは、全体を観た上で、部分に分解しながら詳細に観ていき、部分の変化や差異に反応するイメージでしょうか。

 

一方、直感的というのは、いきなり全体を観て、即座に全体も部分も把握し、反応していくイメージだと思います。

 

トヨタ生産方式のプロは、工場をざっと一回りしただけで、その工場の問題点を数多く指摘するそうです。他の分野でも、そういう人がいます。ぱっと、一瞥しただけで、何か変だと瞬間的に感ずるのです。仮に口では説明できなくても、何となく臭うのです。それが、分析ではなく直感の意味だと思います。

 

 

骨董の世界の目利きも、同じなのだと思います。青山二郎の言葉です。

 

「人間でも陶器でも、確かに魂は見えない所に隠れているが、もし本当に存在するものならば、それは外側の形の上に現れずにはおかない。」

 

ここでいう外側の形とは、全体像のことだと思います。たとえば、偽物をざっと一瞥した時、何となく不自然さを感じます。部分を詳細に観てもよくわからないのですが、全体を観ると何か違うといいます。

 

 

目利きが保有する脳の中の膨大なデータベースに、何かが引っかかり、それを「直感」と呼ぶのでしょう。身銭を切って買い、偽物をつかまされた経験を積まなければ、そのような骨董の目利きにはなれません。

 

 

目利きすなわち熟達者の領域に達するには、真剣に(身銭を切って)ホンモノに触れた膨大な回数と、そこでの多くの失敗経験が必要なのでしょう。

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このページは、福澤が2009年9月17日 07:05に書いたブログ記事です。

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