ヒトの能力: 2011年10月アーカイブ

近頃は新聞も雑誌もネットもジョブズ追悼関連でいっぱいです。それだけの人物であったのですから当然でしょう。しかし、彼のような天才は希有ですし、また天才ばかりでは世の中は回って行くはずもありません。今回はそんなことはないと思いますが、ITバブルの時代やライブドア騒動の頃は、自分は天才だ、あるいは特別な人間なんだと思いたい人々が、あちこちに溢れていたように思います。人生のある時期においては、そういう勘違いがエネルギーとなって個人の成長を促すこともあるでしょう。しかし、いつまでもそうはいかないものです。

 

 

先月ベネチアに行ったからという単純な理由で、それまで何となく読んでいなかった(気にはなっていても何となく手を伸ばさない本ってありますよね)須賀敦子を二冊読みました。やはり思った通り素晴らしい人間洞察と文章で、もっと早く読んでおけば良かったと後悔です。

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)コルシア書店の仲間たち (文春文庫)
須賀 敦子

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彼女の二冊目の作品、「コルシカ書店の仲間たち」に収録されている「ふつうの重荷」というエッセーにこんな言葉がありました。

 

書店はもう彼女にとって英雄たちの戦場ではなくて、避けるわけにはいかないだけの、誰もが人生で背負っているふつうの重荷になっていた。もう、しかたないわよ。彼女は何度もそう繰り返した。そういう彼女の表情には、哀しいあきらめというよりは、成熟がもたらす、静かな落ち着きがあった。

 

須賀は最初彼女(ルチア)の表情に、「哀しいあきらめ」の色を探したのではないでしょうか。ところがそれではなく「成熟がもたらす、静かな落ち着き」を見つけて、深く感動したのだと思います。それと同時に、それに感動した自分にもちょっと驚いたかもしれません。

 

ニクソン元大統領は日頃、こんな言葉を口にしていたそうです。

"Always remember, others may hate you, but those who hate you don't win unless you hate them."

 

ニクソンといえば、ウォーターゲート事件で失脚した悪徳政治家のイメージがありますが、失脚後の日々をこの言葉を胸に抱きながら生きたかと思うと、また違ったニクソン像が浮かび上がってくる気がします。もう15年以上前ですが、彼の著作を何冊か読んだことがあります。骨太で豊かな人間的洞察に満ちた優れた本でした。あれだけのものが書ける政治家は日本には絶対いないと思ったものです。

 

全くレベルも国も状況も異なりますが、須賀、ルチア、ニクソンの言葉から人間としての「成熟」の意味を少しだけ学んだような気がします。ジョブズも発病後、人間として急速に成熟していったのではないでしょうか。今は彼の天才としての成果に脚光が浴びていますが、もっとも学ぶべきは、彼の成熟のプロセスなのかもしれません。

先日ある企業の30才前後の選抜者研修を実施しました。その中で、ある科目(ケースメソッド)に関する終了後アンケートに、こんなコメントがありました。

 

実務の現場で身に付けた暗黙知を、一日という時間を使って紐解き、それをケースを通してクラス全体で形式知化するセッションであった。それをセッション終盤の段階で「気づく」わけだが、その「気づく」ということが非常に役立つのではないだろうか。

 

そうなんです、その通り!企画する側の意図をよくぞここまで理解してくれたと、読んで嬉しくなりました。

 

「気づき」をもたらすプロセスが、前回のブログで書いた「User experience」そのものだと思います。それに対して、「機能」にあたるものは「正しい理論の伝授」です。あるレベル以上の受講者にとって、機能は当たり前であり、事前に課題図書でも読めばほぼ目標は達成されます。ではなぜ時間をかけて集合研修を行うのか?それは素晴らしい「User experience」があって初めて自分のものになるからなのです。私たちは、そんな素晴らしい「User experience」を提供することにこだわっています。

 

素晴らしい「User experience」を体感するには、体感する側にもあるスキルが必要です。このアンケートの回答者のように、意図的にそれができる人は、自分の経験や思いという内面を客観視でき、それと他者(講師や他受講者)から受け取った情報をひもつけ解釈することができる人です。さらには、そういった関係性の意味合いも理解している。つまり、高いレベルでメタ思考ができるのです。

 

ところで、たまたま今朝の日経に、俳優生瀬勝久のショートインタビューが載っていました。彼は、私が欠かさず観る数少ないTV番組のひとつ、

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「サラリーマンNEO」のメイン出演者です。ちょっと長いですが、引用します。

 

Q:コミカルな役柄が多いですが、シリアスな芝居とコメディーでは、演技に違いがありますか?

A:シリアスな芝居は、どういう場面かという内容さえ頭に入っていれば、自然な気持ちで演技ができます。相手のセリフを聞いて、それを消化して返答する。

 

Q:コメディーは自然にはできない?

A:笑いを生みだすには、観客が予測しているリズムをどうずらすかが大切なんです。「話はこういう順番で進んでいくだろう」という予測を裏切る。怒鳴る、と見せかけて、笑うとか、演技や会話のテンポをあえて遅らせるとか。それには「観客はこういうリズムで見ているな」と意識する必要があるんですよ。

 

Q:演技しながら、ずっと意識しているのですか?

A:常に頭の片隅にあります。自分の気持ち以外のことも考えなければならないから疲れます。

 

「常に頭の片隅にある」とは、普通に考えて行動している自分を見るもう一人の自分がいるということだと思います。どうです、コメディアンにもメタ思考が必要なのです。優れた俳優にも優秀なビジネスパーソンにも共通のスキルなのでしょう。凡庸なビジネスパーソンは、せいぜいシリアスな芝居しかできません。そうなっていませんか?

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