本物をみること:鞆の浦紀行

広島県福山市の鞆の浦に行ってきました。ご存じの方も多いと思いますが、江戸時代の港が奇跡的に残されている港町です。現在その湊の一部を埋め立て架橋を建設する計画があります。反対運動も盛んですが、どうなるかわからないため今回足を延ばしてきたのです。

320px-Tomonoura01sb1890.jpg 

古代から海の交通の要衝で、大伴旅人、平家から始まり坂本竜馬、三条実美まで、さまざまな逸話には事欠きませんが、それは別の機会に譲るとして、最近の宮崎駿のエピソードを書きます。今日、聞いたばかりの話です。

 

最近アメリカでも公開された作品「崖の上のポニョ」の構想を、宮崎監督は、この町の海に突き出た崖の上にある、知人の別荘に二ヶ月間滞在し練ったそうです。今日、その別荘も観てきましたが、眺 ポニョ.jpgめの良いとても素敵な場所です。

 

構想を固めた監督は、映画スタッフ200人余りを鞆の浦に集めたそうです。きっと、そのあたりの風景を見せたかったのでしょうが、それだけではありませんでした。

 

港を見下ろす山の中腹に、沼名前神社があります。そこには、豊臣秀吉が伏見城に造らせた能舞台(重要文化財)が移築され、残っています。その伝統ある能舞台に、監督は近隣からお神楽の一座を招き、実際に奉納神楽を舞ってもらったのです。

 

今日その舞台にも行ってきましたが、使用していない時は板ですべて覆い隠すということで、舞台は全く見えませんでした。そこを一晩借受け、スタッフ200人のためだけに、本物の神楽を舞わせたのです。(一部の地元民はその御相伴に与ることができたそうで、そのうちの一人の方から直接伺った話です)

 

直接、映画と御神楽は関係ないと思いますが、映画の舞台(?)となる鞆の浦の町や海、風土をスタッフに理解させるには、きっと欠かせないことだと宮崎監督は考えたのだと思います。

 

そういえば黒澤明監督は、江戸時代の長屋を舞台とする映画を撮る際、当時人気絶頂だった古今亭志ん生を撮影所に招き、一席噺してもらったそうです。

 

 

どちらも、大変贅沢なことで、効率重視では、絶対できないことです。しかし、フィルムには、本物を見せた影響が何らかの形で現れているのでしょう。本物を創るには、本物の力が欠かせないのです。

 

単純なビジネスベースでは難しいことですが、本物に触れた時間の蓄積というものは、長い目で見たら、人の成長に大きな効果があると思います。

 

効率に振り回されないで、「眼」に栄養をやることも、忘れないようにしたいと思います。

 

 

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 本物をみること:鞆の浦紀行

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.adat-inc.com/cgi-bin/mt-tb.cgi/185

コメントする

このブログ記事について

このページは、福澤が2009年9月19日 21:25に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「「目利き」となるには」です。

次のブログ記事は「周回遅れのトップ:鞆の浦紀行(続)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1