昨日の
「爆笑問題の日本の教養」で、坂本龍一さんが音楽についてこう語っていました。(記憶によっています)
「2001年の9.11の時NYにいたが、しばらくは体が強張ってしまったようで、音楽に近づきたくもなかった。しかし、ある仕事の締切に迫られ、いやいや作曲を始めた。すると、音楽によって体が溶けていくことを体験した。」
「音楽には、計り知れない力がある。それがいい方向で活かされればいいが、ヒトラーに利用されたワグナーの例にもあるように、国民をある悪い方向へ誘導する力もある。優れた音楽はあっても、いい悪いの方向づけ自体は音楽にはない。だから、作曲する時も、すごく神経を使っている」
また、国立近代美術館の
「ゴーギャン展」に行き、名作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこにいくのか」をじっくり鑑賞しました。
生と死、智恵と無垢について、一人の個人、その時代のタヒチの人々、そして人類の次元で、時間と空間を超えて壮大に表現されていると感じました。言葉で書くと陳腐ですが、絵画はその深淵な宗教的かつ哲学的な感情をたった一枚で表現できるのです。何万字を使っても表現できなかったことを、たった一枚の絵で表現できることは、すごいことです。
また、これを描くに至ったゴーギャンの体験と思考の変遷に思いをはせると、何とも言えない思いがします。
坂本さんも言っていましたが、人間は言語を持たない時間のほうが遙かに長く、それまでは音楽的なものや、絵画的なもので交信していたはずです。そっちのほうが、はるかに我々のDNAに馴染んでいるはずなのです。
所詮言語とは、最近使われるようになった、便利ツールにしか過ぎないのかもしれません。
アートというとすかしたイメージがあるかもしれませんが、アートは、長い人類の歴史を経て、我々ひとりひとりの根底に染みついている「何か」に作用することができる、物凄いパワーを持っているのだと思います。
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