ヒトの能力: 2010年4月アーカイブ

日本には世界に類を見ない「顔学会」というものがあるそうです。つまり「顔学」がある。先日の「爆笑問題の日本の教養」で初めて知りました。<?xml:namespace prefix = o />

 

確かに顔って不思議です。たとえば、俳優などが売れていくと、TVで見る顔がみるみる変わっていきます。懐かし映像で、昔の顔を見たりすると、その違いに驚きます。

 

なぜ変わるのか。原島博東大名誉教授によると、環境によって顔は変わるそうなのです。もちろん、表情が変わるとか、メイクや髪型などの装飾も影響はするのでしょうが、つくりそのものも変わるとは!?職業別の平均顔なるものを見ると、確かにそれらしい顔となっています。もともと、そういう顔の人がその職業に集まるということもあるでしょうが、環境に適合するように変化するのでしょうか。「40過ぎたら自分の顔は自分の責任」という言葉も、それを裏付けるかのようです。最近日本でも浸透しつつあるFacebookも、そういう文脈で考えれば、よくできたサービスかもしれません。

 

 

もう一つ興味深かったのは、「顔は相手との関係性によって変わる」というものです。見る人の内面が、相手の顔の見え方に影響するというのです。つまり、見えている顔とは、単なる物理的な形ではなく、見る人が造りあげた像なのです。社会構成主義みたいに、客観的な真実はなく、社会(見る人)との関係性が意味付けをするのです。

 

これは、能や文楽を観ると、確かにそう感じられます。物理能面.jpg的な能面や人形の顔は変化しません。(せいぜい、文楽人形の眼や口が開く程度)しかし、観る方が、そこに膨大な情報を注ぎこみ、豊な表情を確かに見るのです。そのような想像力を引き出すのが、能役者や人形遣いの技です。

 

 

このように考えていくと、いかに自分が見ている(と思い 文楽人形.jpgこんでいる)ものがいい加減かという思いに至ります。人は(客観的に)見ているのではなく、見たいように(主観的に)見ているのです。つまり、すべては関係性が決めている。そして、関係性に大きな影響を与えるのは、感情です。やはり、感情をうまく御す(抑えるということだけではなく)ことが、大切なのですね。

 

先日、ある美術館で絵を見ていました。あるとても有名な絵の前で、ご婦人がこういいました。「あっ、この絵、先週TV番組で紹介されていた。」また別の絵の前で子供がこう言いました。「この絵、教科書にあった。」

 

街で、TVで見たことのある芸能人を見かけたら、大抵の人はこういいます。「あの人、この前TVで出ていた人だ。」

 

これらは、思考の特徴を現わしています。物理学者のデヴィッド・ボームは、それを「断片化」といいました。思考の特徴の一つは、何かを他の多くのものと分離したがることだそうです。展覧会の多くの作品群から、知っている作品を分離させるはたらきです。もちろん、知っているかどうかだけでなく、他の基準で分離することもあるでしょう。たとえば、「これは最晩年の作品だから、他とは色調が全く異なる」といった分離もあります。ただ、そんな込み入った分離より、知っているかどうかで分離するほうが一般的でしょう。分離することによって、人は安心できます。

 

これだけなら大した問題はないでしょうが、ボームによればさらに進展があります。ひとは、分離し区別したものに、盲目的に重要性を与えてしまうというのです。知っている作品、見たことのある芸能人が、他の多くよりも重要、あるいは優れていると認識してしまうのです。

 

もちろん、番組で取り上げる有名作品は、きっと素晴らしい作品なのでしょう。だからと言って、それがその他の作品より優れているという証拠にはなりえません。その認識によって、自分にとってさらに優れた(と感じたかもしれない)作品を隠してしまうことにもなりかねません。そこに問題があるのです。

 

 

一度、この認識が出来上がるとなかなかそれを覆すことができません。特に、その思考プロセスが集団で行われると、さらに強固なものになります。

 

思考が分離を生み、分離が崇拝/防御を生み、防御が排斥を生むことにもなります。それが組織運営に絡んでくるとやっかいです。「縄張り意識」や「主導権争い」「政治闘争」となってしまいかもしれません。これは、本質から起きた現象ではなく、あくまで思考が創りだしたものです。第二次世界大戦下のナチス・ドイツや大日本帝国もそうなのかもしれません。

 

また、思考はプレッシャーに弱いため、強いプレッシャーのもとでは適切な思考ができず、悪い方ばかりを考え防御的になってしまいます。それは、(生存)本能にそうプログラムされているからのでしょう。

 

 

このように、「思考」とは恐ろしい面や、いい加減な面も持っているのです。そのことを十分認識して、「思考」していきたいものです。

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