東京大学が社会人のリーダー育成機関として開設した6か月間の
エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)がこの10月で十周年を迎えます。開設時からその存在は知っていましたが、内容についてはよく知りませんでした。本日、東大EMP特任教授の高梨さんとお話する機会があり、初めてそのユニークさを理解しました。いわゆるビジネススクールとは全く異なり、最先端の教養・知恵に重点を置いています。
近頃、ビジネスパーソンの間で「教養」が一種のブームになっており、幹部研修で取り入れている企業も増えつつあるようです。そこでは、その分野の権威と目されている先生が、確立された専門知識を受講者に講義し伝えます。それとも全く異なります。
東大EMPでは、その分野の第一線の研究者が講師を務めることは同じでも、現在進行形の研究成果や、まだわかっていないこと、研究上の限界や悩みなどを話すそうです。完成された知識を伝えるのではなく、講師の現在進行形の研究活動をさらけ出すのです。普通、大学教授も務める研究者は、未完成の研究成果を広く開示することには強い抵抗感があります。しかし、東大EMP内限定ということで、講師にはそれを期待しているそうです。
つまり、知識としての教養を伝授するのではなく、その研究者が日々悩み苦闘している姿から、知を創造する何らかのメカニズムを受講者に掴み取ってもらうことを目的としているわけです。これはホンモノの教育です。
講師のレクチャーの後で、受講者との質疑応答がなされますが、そこにこの教育のエッセンが垣間見えます。当初は、なかなか質問ができません。できたとしても、質問者が持つ思考の枠組みの中で質問をするため、どの業界出身なのかすぐわかってしまうそうです。銀行員は銀行員らしい、役員は役員らしい質問しかしない。講師の思考枠組みと質問者の思考枠組みが少しでも噛み合えばいいですが、そうでなければ、全くすれ違ってしまう。
しかし、二ヶ月くらい経つと、質問内容が明らかに変わってくるそうです。質問者は、講師の思考枠組みを理解した上で、それに沿って質問するようになる。さらに三ヶ月目くらいになると、東大EMPが想定したレベルで質疑応答ができるようになる。質問者は講師の思考枠組みの範囲を理解しているのは当然ですが、さらに講師の研究対象の外にあるにも関わらずその研究と関連を持つと考えられることに関する質問をするようになる。講師はどうしても狭い専門分野を深く掘り下げるため、その外にはなかなか想いが至らない。その急所を質問者が突くわけです。
講師は、はっとさせられる。講師自身も発見があるのです。こうなると、どっちが先生かわからなくなる。
高梨さんは面白い表現をしていました。
開始当初は「雀の学校」。
チイチイパッパ チイパッパ
すずめの 学校の 先生は
ムチを 振り振り チイパッパ
生徒の すずめは 輪になって
お口を そろえて チイパッパ
三ヶ月も経つと「めだかの学校」になる。
めだかの 学校の めだかたち
だれが 生徒か 先生か
だれが 生徒か 先生か
みんなで 元気に 遊んでる
ここで行われる質疑応答が日常でもできるようになれば、あらゆることから学ぶことができるようになることでしょう。「対話」とは、本来そういった思考とコミュニケーションの作法なのだと思います。ソクラテスではありませんが、ホンモノの教育は、対話によってなされるのです。
そういえば、6/19に大澤聡氏の以下の言葉を転記していました。
少し変形してその文脈に接続させる、これも教養のひとつのあり方だと思う。僕はそれを「対話的教養」と呼んでいます。
まさに三か月目以降の質問は、対話的教養を実践している。東大EMP,恐るべし。羨ましい限りです。
PS.数多くのセッションの中で人気高いのは、哲学と高梨さんが担当する天文学だそうです。
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