建築家やデザイナーの分野では、日本人が世界中で活躍しています。そのトップランナーの一人、建築家の隈研吾氏の事務所には世界中から採用希望者が集まります。従って彼は世界中の優秀な建築家のたまごを見ているわけですが、そこでは民族の特徴が手を取るようにわかるそうです。
隈氏によると、日本人は立体的にモノを捉える事や質感は段違いに優れている。一方、構想力は貧弱。また、おしなべて絵が暗い。(これは失われた20年を象徴しているのでしょうが)
ところで、こういう日本人の強みはモノづくりにも共通のはず。しかし、設計やデザインの世界での強みはまだまだ健在ですが、それを形にする力は安泰とは言えないようです。ベテランの職人がもっともそこに危機感を持っている。
昨日、近所のギャラリーで開催されていた「竹のあかり 近藤昭作 60年の歩み展」を観にいきました。(会場は倉を改造した建物で、それも素晴らしい)近藤さんは既に85歳。会場にもいらっしゃいましたが、大変お元気そうでした。
戦前は造船所の設計士だった近藤さんは、戦後復員して竹工の道に入ります。1952年、イサムノグチのAkariに触発され、竹であかりをつくりはじめます。竹をつかった照明の道を切り開き、そして60年が経ったわけです。大手照明具メーカーのヤマギワと独占契約を結び、ヤマギワが世界中に近藤さんの作品を販売していきます。(ヤマギワとの縁は、1961年当時の社長が西荻窪の洋食レストラン「こけし屋」で近藤さんの作品を目にして以来だそう。偶然、昨日私たちはその「こけし屋」でランチした後、この展覧会に行きました)

目にする竹細工の素晴らしさについ、近藤さんに今も造っているのか尋ねたところ、もう随分前から造ってはいないとのこと。さらに、ヤマギワなき(2000年石丸電気と合併、2011年企業再生支援機構入り)後、どこで販売しているのか尋ねると、もう販売はしていないとこと。近藤さんの手元にあるものしか新しいものはなく、それも正式には販売されていない。こういう展覧会で欲しい人に買ってもらっているだけ。ちなみに値段はヤマギワが売っていたときの半額だそうです。多分、当時の卸値でわけているのでしょう。
作品の素晴らしさは言うまでもありませんが、そんな素晴らしい作品と技術が後の世に伝承もされず、近藤さんとともに失われていくという事実に衝撃を受けました。竹細工の技術と、照明としての優れたデザインを創り上げる力の双方を兼ね備えた職人は近藤さんしかいないのです。なのに・・・。
こうして、日本が世界に誇るべきものが失われていくのかと、一抹の寂しさを感じずにはいられません。
近藤はこうおしゃっていました。
「自分はものづくりから入って、デザインもするようになった。今、デザインする人はたくさんいるが、それをモノにする職人がどんどんいなくなっている。」
隈研吾氏も、自分の作品はモノづくりの職人たちとの共同作業でできたもので、彼らがいなければ何もつくることができないと、言っています。でも、日本全体では、頭にあたる建築家やデザイナーが「上」で、それを形にする手にあたる職人や現場の人々は「下」という風潮があるように思います。これは一般企業の世界でも同様。こういった考え方は、古くからの日本思想にはなかったものです。
近藤さんの話をうかがい、我家にもひとつペンダントライトシェードを買い求めました。そんなことしかできませんが・・。
