東大阪市にある中小企業経営者三代目Mさんは、父親から会社を継いだものの社員の確保に苦労していた。典型的な町工場に来てくれる若者なんていない。
6年前のこと、知り合いの経営者から技能実習生制度を活用してベトナムから若者を採用できることを聞いた。日本人の半分以下の給料で、真面目にどんな仕事に取り組んでくれるらしい。Mさんは早速制度を活用し、20代前半のベトナム男性三人を採用した。確かに彼らは、日本人の若者が嫌がる単純作業を黙々とこなしてくれる。Mさんは安い労働力を確保でき、また彼らは日本でお金を稼ぎいずれ母国で家でも建てるのだろうと考えると、素晴らしい制度だと思ったものだ。
しかし、半年が経過したある日、三人は突然Mさんに食ってかかった。リーダー格の青年は、片言の日本語でこう訴えた。「この会社潰れる。僕たちはバカじゃない。」Mさんは、最初何を訴えているのか理解できなかった。彼らは満足していると思っていたからだ。しかし、うすうす彼らの不満を感じとっていた経理を務めるMさんの妻は、涙が止まらなかったという。
やっとMさんは気づく。自分はなんてひどい仕打ちをしてきたんだと。三人は日本で技術を身に付けて、母国の発展に役立とうと大決心して日本にきたのだ。なのに自分は、彼らを安い労働力としか考えていなかった。ヒトとは思っていなかったのかもしれないと。それからMさんは、三人に難しい作業も教え任せるようにしていった。妻は週に三回は彼らのためにまかないを始め、皆で一緒に昼食を取るようにした。彼らに喜んでもらうように、ベトナム料理も勉強した。職場の雰囲気はよくなり、彼らの習熟度もどんどん上がっていった。やがて彼らは実習期間を終えベトナムに帰っていった。Mさんは、その後もベトナムから実習生を招き続けている。
仕事を拡大していったMさんは、昨年ベトナムに工場を設立した。現地で中心となっているのは、あの「この会社はつぶれる」といった一期生たちだ。
ここからいろんなことが見えてきます。
・労働者を機械とみるか、ヒトをみるか。ヒトをみたほうが生産性は高まる
・一般に日本の会社は労働者をヒトとみるが、途上国からの労働者は機械と見なす傾向がある
・小さな職場は「生産の場」でもあり、ヒトとヒトが関わりあう場であり「共同体」
・共同体では、食事という生きるために最も重要なことを共ににすることで結束が高まる
・共同体では、「育てる」ことが必須の機能であり、育てられたヒトがやがて共同体を支えるという循環が起きる
・しかし日本をはじめ先進国では、共同体の破壊が進んでいる。かつては日本では会社が共同体の役割を担ってきたが、それも弱まっている。もし人間にとって共同体が必要だとすれば、今後何がその役割を担っていけるのか
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