映画「ありがとう、トニ・エルドマン」を観て

| | コメント(0) | トラックバック(0)

この 「ありがとう、トニ・エルドマン」は、ホイットニュー

toni.jpg

・ヒューストンのGreatest love of all、この名曲の意味を、ずしーんと感じさせる映画です。

 

実家のドイツからルーマリアに転勤して一年、いろんなことに疲れていやになって、でも上辺は繕わなくてはいられないキャリアウーマンの娘・イネス。彼女は、父親に強引に人前でこの歌を歌わせられる。父親がオルガンで前奏を何度も何度も弾くため、どうしようもなくいやいや歌い始める。でも、歌詞と曲に、自分の境遇を重ねあわせたのか、徐々に気持ちが入っていき、最後は誰の目も気にせず絶唱。歌唱力があるとはお世辞にも言えませんが、聴いている人々を感動させます。観ている私も。久しぶりに、巧拙を超えた音楽の力を感じました。

 

その後、彼女は少しずつ変わっていったようです。上司から彼女が率いているチームは結束がゆるくなっていると指摘され、自分の誕生パーティを自宅で開きメンバーを招くことにします。準備万端整い、あとは来客を待つのみというタイミングで、着ている背中のジッパーが妙に不便なタイトドレスが嫌になり、着替えようと思ったのか

dress.jpg

脱ぎだしました。おかしな恰好になっているちょうどそのタイミングで、女友達が呼び鈴を鳴らすと、なんとイネスは裸で玄関のドアを開け招き入れました。そして、何を思ったのか、このパーティは全裸でなければ参加できないと宣言。この宣言に対する同僚たちの反応がおかしい。

 

女友達は即帰っていきます。次に来たのは男性上司。玄関で条件を聞いて、Uターン。しかし、その後裸になって再訪。次はイネスの恋人でもある男性部下。落ち着いたら電話してと告げ引き返す。その次に来たのは、イネスの女性アシスタント。彼女は常にイネスからどう評価されているのかを気にしています。先ほど引き返した男性部下から、全裸パーティと電話で聞かされた彼女は従順にもシースルーのレース一枚を纏った姿で現れます。もし自分が招待者だったらどうしたでしょう。

 

イネスは、務めるコンサルティング会社で評価され昇進することだけを考えて、本当の自分の上に何枚もの固い鎧を着重ねているようなもの。それを父親「トニ・エルドマン」に暗に指摘され、自分の中での合理性、一貫性が揺るぎかけていたのです。そこから自分を解放することの象徴が、この全裸パーティだったのかもしれません。

 

その後パーティはどうなったか、イネスは自分の生きる意味をどう結論づけたのか、映画では語られません。でも、愚かな自分に気づいて生き方を変えるという、ありがちな話ではありません。

 

次の場面はイネスの祖母、「トニ」の母の葬儀会場。久しぶりの父娘の対面のようです。彼女は予想通り転職していました。でも、新しい勤務先はシンガポールのマッキンゼー。親戚から活躍しているんだねと声をかけられ、満更でもなさそう。でも、なんとなく以前のイネスとは違っているように見えます。なんとなくですが・・・。

 

 

この映画はいろんな観方ができます。娘への愛情でいっぱいの父親の物語や、かみあわない父と娘の物語、キャリアウーマンの再生物語。グローバルビジネスの胡散臭さと人間の葛藤の物語などなど。観客は誰に感情移入するかにもよるのでしょう。私はどちらかと言えばイネスだったかな。 Greatest love of allが日本でも流行った頃、私は社会人一年生。今思えば、想像できなかった環境変化に大いに戸惑っていました。自分を奮い立たせるために、この曲を何度も聴いていたことを思い出しました。

 

いい映画は、観る人によって様々な観方や感慨を引き出すものです。その意味でで、この映画は名作に数えられるでしょう。「東京物語」を少しだけ連想しました。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 映画「ありがとう、トニ・エルドマン」を観て

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.adat-inc.com/cgi-bin/mt-tb.cgi/720

コメントする

このブログ記事について

このページは、ブログ管理者が2017年7月 6日 17:28に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「知識と知恵」です。

次のブログ記事は「エポケーし観察し自らの美意識で判断する」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1