学ぶこと/教えること

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今朝の朝日新聞「折々の言葉」に以下が記されていました。

 

わかりやすさというものは、親切なように見えて、実は非常に不親切なことなのかもしれません。(千宗屋)

 

また、毎回楽しみにしていた、日経ビジネスでの連載「トヨタ方式を作った男たち」が、今週号で終了となりました。

 

他にも最近読んだものに中に、「学ぶこと/教えること」に関して感銘を受けたものがいくつかあったので、備忘録的に転記しておこうと思います。

(「教える」という表現は適切ではなく、「導く」「治す」「同道する」「育てる」「提示する」など様々な意味が含まれますが、それらを同じかたまりと捉え、便宜上「教えること」としました)

 

 

●学ぶということ

確かに合理的な考えからすると修業は無駄である。でもこの無駄が大切なのだ。毎日同じ仕事をやり親方に同じことで怒られる、己の駄目さを認識する。世の中の底辺を見る。親方は自分をどう思っているのか?世間は自分をどう見ているのか?毎日思考の繰り返し。(中略)熟成されることにより人への優しさを覚えるのだ。気を使える人間になるのだ。気を使えるということは状況判断が的確に行えるようになるということ。客に対しても何を求めているかわかるようになるのだ。人間を見る目を養うことになるのだ。(立川志らく)

 

林によれば、大野も鈴村も現場でメモを取らなかった。頭の中に映像として記憶し、カイゼン後の現場と照合して、さらなる改善を指摘していく。メモを取って満足し、とことん考え抜くことを疎かにするな、という戒めがそこに込められている。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.44」)

 

求められるのは、いわゆる知識ではない。困って苦しんで考え抜いた末に出てくる知恵である。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.50」)

 

毎日現場に来て考える。「昨日と同じことをやっていていいのか」そう自らに問う。自分なりにムダを省く。進化、成長はそういう態度からしか生まれない。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.54」)

 

●教えるということ

トヨタ生産方式の指導とは上から目線で講義することではない。人間と人間の間に信頼感を醸成することだ。お互いを認め、気脈が通じなければ成り立たない。

 

生産調査室の人間のモチベーションとは、もちろん目的は原価低減だったけれど、相手の喜ぶ顔が見たいというその一心だった。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.44」)

 

指導員に必要なものは何よりも観察力だ。(中略)ただし、この時にパターン化された公式があるわけではない。解決策は現場の数だけある。同じ答えは解決のヒントにはなるけれど、そっくりそのまま他に援用しようとする態度は間違っている。(中略)何よりも大事なことは導き出した解決策を「そのまま教えない」ことだ。伝授するのではなく、現場の人間が思いついたように答えを引き出す。(中略)簡単に答えを教えたら身に付かない。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.49」)

 

情報を伝えることでもなく、問題の解答を導き出すことでもない。部下に課題を与えながら、自分自身もまた同じ課題を解くことだ。そばにいて見届けて、同じ苦労をする。部下と同じ立場に身を置くことだ。

 

常に考えることを求め、決して褒めることをしなかった。「褒めるという行為は相手を馬鹿にしている」と大野は言った。自分ができることをお前にしてはよくやった、と思うから褒めるのだと。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.53」)

 

 

サブちゃんと客席のやり取りには垣根がない。年齢や性別、職業や身分など一切の区別がなく、人と人とが水平にぶつかり合っていた、『俺はこれまで何をしてきたんだ』と恥じ入った。自分の中に無意識なエリート意識があって『上から目線』で仕事をしてきた、批評家や業界人の目ばかり気にして脚本を書いていた。テレビドラマは大衆のものだ。『地べた目線』でドラマを書くぞと心に決めた。(倉本聰 「私の履歴書」)

 

必要なのは距離を保って共感することだ。愛情や友情を感じる必要はない。(「トヨタ生産方式を作った男たち」 No.54」)

 

患者の苦悩に寄り添い、深く「関与」しつつ、一方で、その表情や行動、患者を取り巻く状況に対しては冷静で客観的な「観察」を怠らない。

 

1960年代までの心理療法は、治療者は患者を善導するという言い方をしていたんです。医師が患者を教え導くなんて非常にパターナリスティック、父権的ですね。(中略)治療者のパッションが時に患者にとっては有害な場合がある。(中略)そこで、今では当たり前のことですが、主体は治療者でなく患者であるという方向にだんだん視点が移っていったんです。(「セラピスト」P232最相葉月著)

セラピスト (新潮文庫 さ 53-7)
最相 葉月
4101482276

 

 

 

茶人も落語家もトヨタ生産方式指導員も脚本家も心理療法士も、みな同じことを言っています。ここに、非常に日本的な「学びのかたち」があるように感じました。

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このページは、ブログ管理者が2017年5月29日 12:48に書いたブログ記事です。

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