「トリコロール/青の愛」を観て

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キェシロフスキは、私が最も好きな映画監督の一人です。彼は、残念ながら20年前(1996年)、54歳の若さで亡くなりました。最晩年の199394年にかけて監督し、絶賛されたのがトリコロール三部作。まさに頂点に向けて加速した時期に、突然の心臓発作で亡くなったのです。その時の衝撃は今でも鮮明に思い出せます。私が、「すごい監督を発見した!」と喜んだ矢先だったので。

 

今、渋谷ル・シネマで没後20年特別上映「キェシロフスキのまなざし」が開催中です。初めて彼の作品を観たのもここでした。早速、三部作の第一作「トリコロール/青の愛」を観てきました。この作品は、ジュリエット・ビノシュ演ずるジュリーの夫と娘が交通事故で亡くなるところから始まります。大けがをしたものの、一人生き残ったジュリーの再生の物語です。再生、すなわち精神的束縛からの自由。ちなみに、シリーズの他の二作品は、それぞれ、白=平等、赤=博愛を表現しています。

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亡くなった夫は著名な作曲家で、EU統合式典のための交響曲(Song for the Unification of Europe)を作曲している途上での死でした。その曲がストーリーの中でも、また映画音楽として、もとても重要な位置を占めています。(今、サントラを聞きながら書いています)

 

EUが正式に発効したのが1993年、まさに本作が公開された年です。その後、拡大を続けたEUが、今年初めて離脱国を出すのですから、運命的とも言えそうです。監督が生まれたポーランドがEUに加盟するのは2004年。多くの侵略された歴史を持つポーランド出身であるキェシロフスキ監督にとって、EUは特別のものだったのではないでしょうか。

 

さて、EU統合交響曲の中の合唱で、愛の尊さが何度も歌われます。EU統合は、損得に基づくものではなく、戦争を二度と起こさないよう「愛」を基本価値とした統合だったのだと思います。しかし、残念ながら先の英国の国民投票では、離脱派も残留派も、目先の損得の議論に終始していたように思います。本来、EU統合の理念は、損得ではなくもっと高尚な理想(それを愛といってもいい)に基づいていたはずなのですが。この作品を観なおして、1993年には共有されていた、損得ではない理想主義の存在を思い起こしました。

 

また今回、23年前に初めて観たときとは違った、多くの発見がありました。再生に向かうジュリーの細やかな心の動きです。細かいエピソードが重ねられ、少しずつ自由を獲得していくプロセスが、納得感をもって伝わってきたのです。(喧嘩からの逃亡者、フルート吹き、娼婦退去の署名拒絶、子供を産んだ鼠、ベッドマットレス、老人ホームの母、ヌード劇場での出来事、夫の恋人の妊娠、そして青いプールでの水泳など)以前は、それらの意味合いにはほとんど意識が向かなかったと思います。しかし、今回それらに込めた監督の意味合いが理解できたように思えました。(23年前は、それを言語化はできなかったものの、直観では理解していたのかもしれません。)そして、最後にジュリーは夫の残した作品を自らの手で書上げる。その一点に集中していくように、物語は気品と緊張感を持って進んでいくのです。

 

ラストシーンは、合唱の音楽をバックに、様々な登場人物が走馬灯の絵のように映し出されていきます。それは、神の視点であるかのようでした。人間は、どんなに苦難に陥っても再生しまた生き続けるのだと、その繰り返し見続けてきた神の視点、それでこの映画は終わります。

 

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このページは、ブログ管理者が2016年7月13日 16:01に書いたブログ記事です。

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