2週間前の英国EU離脱決定は、様々な波紋を呼んでいます。中でも、勝ったはずの離脱派リーダーの表舞台からの離脱、そして彼らの公約撤回に伴う離脱派市民からの「騙された!」との怒りの声。民主主義のお手本であるはずの英国が、どうなっちゃったの?
しかし、腐っても英国。やっぱり、違います。イラク戦争独立調査委員会(通称チルコット委員会)が昨日発表した最終報告書。長期機密扱いの慣例も破って公開された資料も含まれています。また分量にして、ハリーポッターシリーズ全7冊の2.4倍。2009年から7年かけて調査したもので、その内容は詳細を究め、独立の名に恥じず、中立の立場で当時の首相をはじめとした政府を批判しています。これぞ民主主義の基本。政府に対し、主権者への責任を果たさせるために必要不可欠な検証作業が、公正に実行されたのです。ちなみに、英国同様アメリカに追随した日本は、外務省によって4ページの報告書が作成されたそう。
こういった検証作業は、日本では馴染まないのでしょうか?ちょっと前に大騒ぎした舛添問題。知事を辞職したら、金銭問題追求の話は消えてしまった。小泉氏もとっくに退任しているので、イラク戦争参加責任検証の声は上がらない。
検証作業とは、間違いを繰り返さないためにするのであって、「首をとる」ためにするのではありません。今回の英国チルコット委員会がまさにそうです。しかし、日本では首をとるのが目的で、首がなくなったら検証の必要性はなくなってしまうようです。こういう日本人の特性をよく理解する他国の人々は、「日本は大丈夫か?」と不安を抱えるのではないでしょうか。
先の大戦では、日本人のほとんどが軍部などに騙されたと戦後感じたことでしょう。騙された人々には責任はないのでしょうか?
昨日、太田啓子弁護士から以下の文章を教わりました。書いたのは映画監督伊丹万作氏(伊丹十三の父)です。長いですが引用します。
「多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。」
「すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。」
「私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。」
「だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。」
「だますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。」
「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」
「「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。」
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月:「戦争責任者の問題」より)
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