カッコいい人々

先週の水曜日、イラク支援ボランティアとして現地で活動している高遠菜穂子さんの講演を聞く機会がありました。高遠さんといえば、2004年にイラクで他の日本男性二名とゲリラの人質になり、その後解放された女性としてご記憶の方も多いでしょう。当時、「自己責任論」が跋扈して、さんざんマスコミに叩かれました。それになんとなく、いやーな印象を持ったことを覚えています。

 

一次は気力を失った彼女ですが、再びイラク支援活動を再開しています。常に現場に立つ彼女の発言には、重みと圧倒的な説得力があります。地べたを這うミクロの視点からの思考と発言なのです。講演会後の懇親会にも参加し、直接質問することもできました。

 

私は、全体像を理解するためにどうしても抽象化・構造化して理解しようとする癖があります。つい彼女に、「それは、XXXXだからそうなるのでしょうか?」といった質問をしたところ、「私は池上彰さんじゃないから、そういうことは答えられません。私はイラクの現地の人々の状況はいくらでも言えますが、それ以外にことを推測では語りたくありません。」との返事。なんでもマクロでおおざっぱに捉えてそれを報道するマスコミに対する批判が、一瞬垣間見えました。すべてが白か黒ではいかないのが現実、それをわかりやすく白黒で判断しがちな我々一般の人々にも我慢がならないのでしょう。自己責任論もその一種ですね。たしかに・・・、深く反省しました。

 

またある人が、なぜそこまでして危険な地域で支援活動をするのか質問したところ、少し考えてから、「やはり愛だと思います。別にイラクでなくてもよかったんですが、たまたま縁があったんです。」との回答。困っている人がいれば助けたいというのは、人間の自然な感情ではあります。でも、それに対してリスクや失うものをつい考えてしまうのも人間。その感度が、何もできない私のような人々とは違うのでしょう。「余計なこと」を考えず、「やりたいからやる」というのは爽やかでカッコいいですよ。

 

偶然、もう一人「カッコいい」人を知りました。今週の日曜、長くお世話になっている下諏訪の温泉宿の若女将からショートメールをもらいました。

「急な話ですが、6/5岡谷文化ホール19時開演の音楽会、下諏訪出身柳澤寿男さん率いるバルカン室内管弦楽団諏訪公演があるので、もしご都合があえば是非是非に!音楽を通じて世界平和をと活躍されている方です。ご都合がつけば差し上げたいのでお送りいたします!」

 

私はあいにく柳澤さんを知りませんでしたが、すぐ検索し調べました。TVでも取り上げられたことがあるので、ご存じの方もいるかもしれません。

 

現在は、バルカン室内管弦楽団音楽監督、コソボフィルハーモニー交響楽団首席指揮者、ベオグラード・シンフォニエッタ名誉首席指揮者、ニーシュ交響楽団首席客演指揮者。

 

えっ、バルカン、コソボ、ベオグラード??今でこそ、内戦といえばイラク、シリアといった中東ですが、90年代から2000年代にかけては、これらバルカン半島の内戦はとてもひどい状況でした。そんな国々で、日本人が現地のオーケストラの指揮者をやっている!なんで??

 

とても興味が湧いてきて、ちょうど一年前に出した彼の著書、「バルカンから響け!歓喜の歌 ~紛争の跡地で奏でる奇跡の旋律~」を即購入。感動しながら、一気に読みました。紛争後とはいえ、民族の分裂と憎悪はまだ甚だしいバルカンの地で、対立する多民族を束ね、新しい「バルカン室内管弦楽団」を創設したのです。

バルカンから響け!歓喜の歌
栁澤 寿男
4801802486

 

最初に首席指揮者となったマケドニアでは、日本との文化の違いもありオーケストラをくびになりました。打ちひしがれた彼が、再起しようとするきっかけは、最も差別されているロマ族の少女でした。ロマが乗るから乗らない方がいいとアドバイスされたバスに、あえて乗った彼は、裸足のロマの少女が座っているのを見つけます。バスはだんだん混んできてついに満席に。その時、一人のマケドニア人の老人が乗ってきた。誰も席を譲らなかったが、突然ロマの少女が席を譲った。

 

「老人は笑顔で座席に座った。すごい光景だと思ったロマの少女は教育を受けていない。本能的にというか、人として、老人に席を譲ったのだ。そこに民族の差などなかった。いるのは少女と老人だけだ。あるのは思いやりと感謝の心だけだ。教育を受けたものは譲らず、教育を受けていない少女が席を譲った。教育って何だ?(中略)その瞬間、ほんの一瞬だが、民族の壁は取り払われた。(中略)こういう一瞬一瞬を積み重ねていけば、民族が共存共栄できるのではないか。私は、そういうオーケストラをつくってみたいと思った。」


そうして、本当にそれを実現します。しかも、ロマとの共演まで。高遠さんが支援するイラクは、まだこういう段階ではありません。ただ、いつかはこんな日が来ることでしょう。こういったいろいろな段階で、海外の人々の痛みに対して、地道に真摯に自然に活動している日本人がいることは誇りです。戦争をしないと誓った日本人だから果たせる役割があるのです。

 

おととい、若女将からのチケットが届きました。明日の夜、ひとつになったバルカンの音を楽しんでこようと思います。ありがとうございます。 

 

PS.たまたま先ほど、丸の内線に乗っていやな光景を目撃してしまった。赤坂見附駅で乗ってきた裕福そうなご婦人が、乗るやいなや隣の乗車口近くに空いた座席まで、立っている私の後ろをダッシュし座った。ちょうどその席近くの乗車口から老婦人が乗ってきたのだが、目の前で席を取られた格好。立ちすくむ老婦人。すると隣の隣に座っていた男性が老婦人に席を譲った。老婦人は遠慮したものの、感謝し着席。次の四谷駅で、老婦人は下車。なるほど、だから遠慮したのか。あのマダムも少しは罪悪感を薄められほっとしたかと見ると、驚くことに彼女も四谷駅で下車。何たること!たった一駅のためにあの猛ダッシュだったとは・・・。

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このページは、福澤が2016年6月 3日 18:26に書いたブログ記事です。

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