経営: 2011年12月アーカイブ

最近iPad2を買ったのですが、やっぱりアップルはすごい。機能のみならず使用者体験という面での品質は、圧倒的です。例えば、別売り純正品のカバー(液晶面をガードする

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覆い)がすごい。風呂のふたのように4つに区切られているため、1/4ずつ開けることができます。カバーを閉じると液晶画面が消え、開けるとすぐ液晶が灯り画面が現れます。それだけでもすごいのに、少しずつつまり1/4ずつ開けていくと、それに合わせて液晶がだんだん明るくなっていくのです。機能としては重要ではありませんが、体験としては素晴らしい。これがトータル品質です。これだけの品質へのこだわりがあったから、現在のアップルのブランド力があると言えます。あるいは、そういうブランドを築くためには、そこまでの高品質が不可欠だったともいえます。つまり、ブランドと品質は相互補完しており、ユーザ-に高い価値を提供する。

 

消費者にとって、高い価値と高機能は同一ではありません。例えばインドで売っているサムソン製TVは、日本メーカー製の半額ですが、どのチャンネルでもクリケット試合の点数が画面隅に表示されるようになっているそうです。インドで人気のクリケットは、試合時間が68時間もかかるので、途中で他のチャンネルも見たくなるというニーズに応えているわけです。画面解像度なんかよりもクリケットの点数のほうが遥かに重要なインドの消費者にとっては、サムソン製のほうが高価値なのです。

 

ハイスペック(高性能)=高価値=高級=高価格、という呪縛に囚われた日本企業の多くは、市場から駆逐されてしまうのではと、不安になってしまいます。高い技術力で高性能の製品を作れば、自ずと売れてその結果高いブランドが築けるだろうという思い込み。でも、たとえ高性能セグメントで成功したとしても、なぜか利益率は驚くほど低い。そんな企業は、マーケティングを色ものとして扱っているような気がします。(質の悪い製品を無理して売るために、マーケティングが存在すると考えているふしもないではありません)

 

かつてのDRAMに始まって、携帯電話、液晶、薄型TVと敗退の歴史がどんどん積み重なっています。このままでは自動車までそうなりかねません。そして、マーケティングの重要性は、消費財のみならず産業財にも急速に及んできています。アップルのように、ブランドと技術が相互補完的に高めあっていくことがマーケティングの本質であり、今の日本企業にそれが最も欠けている。日本から、かつてのソニーのような企業は、もう生まれないのでしょうか。

 

70年代のオイルショック以降の売れない時代に、「売る」ためのマーケティングが脚光を浴びた時期があります。それに対して、現在は「体質転換」のためのマーケティングが求められているのかもしれません。

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