一即多、多即一:組織と個人の関係性

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今月からチームに新入社員が加わった方も多いのではないでしょうか。迎え入れる側からみて、新入社員はどのような存在なのでしょうか?無知な存在であり、戦力になるどころか足手まといです。いちいち教える手間もかかりますし、失敗したらフォローしてあげなければなりません。つまりお荷物です。

 

では、新入社員には来て欲しくないのでしょうか。多くの日本の組織では、必ずしもそうではなく、いやいやながらも受け入れて、そして来たら来たでそれなりに既存のメンバーも張り切って助けているのではないでしょうか。もっと言えば、お荷物が加わることで、組織が活性化することも多い。

 

もしそれが新入社員ではなく、新しい派遣社員だったらそうはならないでしょう。新入社員とそれ以外では何が異なるのか。派遣社員は決められたタスクをこなすことを第一に求められます。つまり必要なのは機能。一方、新入社員には、タスクをそれほど期待しません。それよりも、同じ職場のメンバーとしての役割を求められます。では、同じ職場のメンバーとしての役割とはなんでしょうか?

 

ロボットは、多数の部品から成り立っています。それぞれの部品には機能が割り振られています。この状態を、「多から一へ」と表現できます。

 

人間も、各機能を持った多数の細胞から成り立っていますが、細胞を集めてくっつけても人間にはなりません(フランケンシュタインではないので)。ここが根本的にロボットと有機体である人間の違いです。しかも、人間の細胞は日々入れ替わっています。それにも関わらず、「私」は私であり続けます。つまり、「私」という「一」があったうえで、多くの細胞が存在するのです。「一から多へ」と表現できます。

 

人間の集団であるチームもその原理に従っていると考えられます。新入社員も、チームという場所(すなわち「一」)に属する「多」のひとつです。古い細胞にとっては、個体(「一」)のいのちを存続させるためには、新しい細胞がなんとしても必要で、守り育てなければなりません。

 

部品の集合体がロボットという一方向の関係に対して、チーム(人間)と各メンバー(細胞)との間には相互依存関係があります。メンバーの行動がチームのあり方にすら影響を与え、またチームのコンテクストがメンバーに影響を与えるという、双方向の依存関係にあります。チームという「場」は、拘束条件をメンバーに与えます。会社であれば、利益を出すためにいろいろ注文がつきます。場の拘束条件があるから、その中で自発性と創造性を発揮できるという面もあります。(即興劇やアドリブのジャムセッションをイメージしてください)

 

また、「場」をともにするメンバー同士は、一定の拘束条件のもとで一緒に生きていく共存在の関係となります。いわば運命共同体です。メンバー同士は多様性があり、それぞれ異なる役割を演ずることで、チーム(場)の持続性を高めることができます。

 

メンバーは、属するチームに対して目先の損得を超えて「入れ込む」ことができ、また他のメンバーに対しても目先の損得を超えて「入れ込む」(引っ張り込まれる)ことがあります。前者の例は、チームがあるイベントに一致団結して取り組むような場面で、寝食を忘れて仕事に打ち込むようなときです。後者の例は、(最初に書いた)新入社員を助けたくなってしまうような場面です。一定の条件のもとでは、人は「危うい」存在に対して同情心が生まれ、助けたくなってしまうものなのです。そして、同情心に基づいた行動を取ることで、結果として自己効力感が満たされモチベーションが高まる。(だから、お荷物たる新入社員が入ることで、チームの生産性が高まるということも起きる)

 

このような、「多」たるメンバーが自ら主体的に望ましい方向に行動し収斂していくことが、「自己組織化」といえるでしょう。

 

「個人の能力の合計が組織の能力ではない」という状況は、このような「一から多へ」のメカニズムがはたらいているからではないでしょうか。

 

「一即多、多即一」とは、華厳経の言葉です。「チームは私であり、私はチームである」という関係性、それが組織の理想ですね。家庭と家族の関係も、地球といきものの関係もそうです。主客分離を原則とした西洋科学では越えられない壁を、東洋思想は軽々と超えていくようです。

 

このようなことを、「<いのち>の自己組織」」を読んで考えました。これまでの疑問が少し解けた気がします。

 


〈いのち〉の自己組織: 共に生きていく原理に向かって
清水 博
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このページは、ブログ管理者が2016年4月18日 15:36に書いたブログ記事です。

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