江戸時代の教育方法

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昨日、「日本的思考とは何か」をテーマにした勉強会に参加しました。日本的な思考とは、実は自由な精神による自由な思考であったということがメインメッセージです。自由とは権威からの自由であって、権威から学ぶもそのまま鵜呑みにするのではなく、そこから自分なりに解釈、飛躍していく自由さが、儒学や仏教などにもみられたそうです。江戸初期に活躍した儒学者、伊藤仁斎を採り上げて、その論を解説していただきました。確

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かに、我々は今でも輸入したものを「日本化」して取り入れてしまうことが得意です。思想においても、そうなのです。同じ儒教圏でも中国や朝鮮では、そのような自由な展開は見られないのだそうです。


ところで、その講義の中で江戸時代の教育方法についての話がありました。私のイメージは、論語などの本を生徒が先生の後について皆で一斉に音読し、記憶しておくというものでした。自分の学生時代をダブらせていたのでしょうか。実は、商人によってつくられた私塾では、もっと生徒の自発性を基本に教育がなされていたそうです。

 

当時の学校は、基本的には儒学を教えていたわけですが、儒学の教育とは、一方通行型ではなく、各自に思考させ教師はヒントを与える役割にしか過ぎないというものでした。実際、論語には以下の記述があります。

 

(いわ)く、憤(ふん)せざれば啓(けい)せず。悱()せざれば発(はっ)せず。一隅(いちぐう)を挙()げて、三隅(さんぐう)を以(もっ)て反(かえ)さざれば、則(すなわ)ち復(ふたたび)せざるなり。(論語述而より)

 

「先師がいわれた。私は、教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない」(下村湖人現代訳)。

 

 先生の講義から入るのではなく、まず生徒が独力で考えに考え抜く。それでもわからず苦しみ抜く。そこでやっと先生が、少しのヒントを与える。苦しみ抜いていた生徒は、そのわずかのヒントで「一を聞いて十を知る」ことができる。そのくらいの段階まで生徒が思考を重ねていなければ、二度とその生徒にヒントを与えることはしない。つまり、相手にはしないということです。非常に、生徒個人の自発性に委ねる教育方法と言えるでしょう。


生徒は先生から知識を教えてもらうという、今一般にイメージされる日本人の教育方法は、明治以降に出来上がったもので、江戸時代以前はこういった教わるのではなく学び取るスタイルが一般的だったようです。もしそうだとしたら、江戸時代の私塾で学んだ生徒のレベルは非常に高く、だから明治維新も実現したのかもしれません。

 

では、なぜそのような教育スタイルが失われてしまったのか。4つの仮説があるそうです。

1)西洋列強に追いつくため、知識吸収スピードを重視したため

2)一方的に考えを伝える「演説」が重視されたため

3)「学び」が立身出世のツールとなり、それには知識量が重視されたため

4)政府が「思考する」国民を警戒し、弾圧したため

 

いずれにしろ、この明治のスタイルは今でも、学校教育には色濃く残っています。ただ、実践と成果を重視する企業教育の分野においては、先述の儒学的教育も以前から重視されていますし、その重要性は高まっていると言えるでしょう。


考えてみれば、職人の世界では明治以降もずっと師匠と弟子の間は「教えない」「自分で盗み取れ」という教育スタイルでした。(近頃は、そこでも「教える」ことが時代にあった新しいスタイルだとの意見もありますが、果たしてそうでしょうか?)

 

先生が「教える」という教育方法は案外新しいもので、我々日本人に合った教育方法は「考えさせる」の方だという気もします。きっと他にも、明治の混乱期に出来上がった即席スタイルを、日本古来のものだと誤解し有り難がっているものがあるような気がします。

 

常識や思い込みに囚われないためにも、歴史に学ぶことはまだまだたくさんあるのです。

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このページは、ブログ管理者が2016年4月12日 13:43に書いたブログ記事です。

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