主体性の問題

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謹賀新年

 

今年は、「主体性」について考えていこうと思っています。

 

まず、私の主体性の定義はこうです。

 

正解のない問題に直面したとき、常識や先入観に囚われず前提を疑って考え抜き、自らの価値観や信念に基づいて自らの責任で判断し行動すること。同時に、自らのよって立つものは不十分だと認識し、常に他者から謙虚に学び続けること。

 

補足説明します。

 

正解のある問題への対応では、主体性は重要ではありません。正解への最短距離を最速で走るのみですから。主体性が求められるのは、正解のない問題に直面したときです。

 

正解がないとき、人間はどうするか。多くは常識や過去の経験からの知識を参照しようとします。しかし、ほとんど通用しません。自分が暗黙に抱いている前提そのものが間違っていることが多いですからです。

 

そうなるとどうするか。責任転嫁を図ります。「XXにそう書いてあったからこうしよう。もし間違ったら、XXのせいで自分のせいではない。」

 

こんな子供みたいなことは考えないと思うかもしれませんが、「競合のX社が参入したから、わが社も至急参入しよう」というのと、まったく同じです。多くの一流企業だってこう考えるのです。原因は自分ではなく他にある。これでは自らの責任での判断とはいえません。

 

もし、他者に委ねず自分の責任において判断するとなったら、その判断基準は最終的には自らの価値観や信念にならざるを得ないでしょう。特に選択肢すら明示されておらず、自分で選択肢から設定しなければならない場面では。

 

これは、リスクを取る態度ともいえます。リスクを取らないということは、「太いものに巻かれる」ということです。正解のない世界では、太いものと一緒に転落する可能性が高いのです。

 

リスクを取ることと「無謀」とは違います。無謀とは、ロシアンルーレットに挑むようなもので、自分で全くコントロールできない勝負をすることです。一方、リスクを取るということは、結果のバラつきは大きいが、そのような状況でも適切な準備をすれば「自分」の結果のばらつきは小さくできると確信したうえで、ある選択をすることです。

 

こういった判断と行動が取れる人は、主体的といえそうです。しかし、えてしてこういう人は自己主張が強い唯我独尊になりがちです。「私の判断は正しい。なぜならこれだけ考え抜き、準備しているのだから。だから、他者も私の判断に従うべきだ」と。

 

一件、主体的な人に見えますが、二つの問題があります。ひとつは、周囲がついて来ないこと。人間は必ずしも合理的ではなく、感情に縛られるため、正解を正解と思いたくなくなるからです。これでは、集団の成果は出せません。

 

もうひとつは、謙虚さが薄れ学ぶ意欲がなくなって成長が止まってしまうこと。そうなると自らよって立つ価値観や信念や判断力が現状に合わなくなっていくかもしれず、「好ましい」主体性の持続可能性が低くなってしまいます。(ここでは「好ましくない」主体性を、唯我独尊の独りよがりとします)

 

つまり、謙虚な学ぶ姿勢があって、初めて持続的な主体性を獲得できると考えます。

 

このように、(持続的)主体性を獲得するには、多くのハードルを越えなければなりません。

 

 

私の過去の経験からは、仕事においてパフォーマンスを規定するのは、知能やスキル以上にこの主体性だと確信しています。知能やスキルの個人差なんて知れています。しかし、主体性のレベルの差は非常に大きく、かつ本人は(上の人も下の人も)その差にあまり気づかない。主体性レベルの高い人は、時間はかかるかもしれませんが、着実に成長し最後はトップに立てる。

 

では、(マネジメントの立場から)どうすれば主体性を持たせることができるのか。主体性を、主体的にではなく、他者からの働きかけで高めることができるのか、これは言語矛盾のようにも思えます。

 

特に日本人は、集団主義が強く周りばかり見てしまって主体性が低いと言われがちですが、本当にそうなのでしょうか。

 

サッカー女子なでしこジャパンも昨年活躍したラグビー日本代表も、主体性レベルの非常に高い集団に見えます。その実現のもっとも大きな要素は、やはりリーダー(トップ)の働きだと思います。佐々木監督も、ジョーンズ・ヘッドコーチンも、それぞれの方法で選手の主体性を育んだのだと思います。

 

つまり、トップの振舞い次第で、メンバーの主体性を高めることはできると思うのです。これは企業でいえば、経営陣の責任です。

 

日本企業を強くするには、やはりトップ層すなわち経営陣を強化することがもっとも強力でありかつ近道だと思います。

 

昨年の東芝の問題や、新国立競技場設計の問題などをみても、トップの主体性欠如がはなはだしい。こういうトップのもとで、社員がどれだけ主体性を持って判断、行動しようとしても、結果は推して知るべしでしょう。

 

 

2016年、「主体性」をキーワードに、人材・組織開発に取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

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このページは、ブログ管理者が2016年1月 4日 17:34に書いたブログ記事です。

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