萩市の老舗陶器店四代目Mさんのこと(後編)

先生のMさんへの対応はその後も厳しいものだった。しかし、数年後、先生が大病を煩いそこから生還すると、Mさんへの対応ががらっと変わった。Mさんのどんな質問にも丁寧に答えてくれるようになったのだ。死期を悟った先生は、Mさんを育てることで自分が積み上げてきたものを後世に残そうとしたのかもしれない。

 

数年の調査を経て、Mさんはある結論にたどり着く。その茶碗の作者は本阿弥光悦であると。これは陶芸研究の世界でも究めて異端の学説であり、その後Mさんは萩光悦の研究にとりつかれることになる。

 

二年ほど前、先生と父親(三代目)があいついで亡くなった。父親とは、最後まで意見が合わず認めてもらうことができなかったのは、Mさんにとっても心残りだった。

 

しかし、感傷に浸っている暇はなかった。家業であるM店の経営は依然低迷を続けており、いかんともしがたい経営状況になっていたのである。四代目店主となったMさんは、父親との約束通り自分のやり方で店を再建しようと歩み出した。

 

まずは、それまでの安い陶器の問屋業から転換を図るべきだと考えた。問屋業では、陶器が売れなくなってきていることはよくわかるが、では消費者がどのような焼き物を欲しているのか全くつかめない。また、問屋である限り、全国数多ある窯元と競争しなければならない。問屋の売り先である百貨店などでは、日本全国の産地から商品を集めるようになっていた。物流が発達し、それは容易なことなのだ。

 

やはり、直接使用者である消費者と接点を持つことが必要だ。仮にそうしたとして、何を売るのか。萩焼というだけで売れる時代ではない。Mさんは、これまで仕入れていた無名の多くの生産者との取引をすべて止めることを決断した。自分が扱う商品は、自分自身が惚れ込めるものだけにしたかったのだ。それは先生の教えでもあった。

 

とはいえ、扱いたい高品質のお茶碗の作家はすでにみな知名度も高く、Mさんはこれまで取引したこともない。それどころか、かつて困っていた萩焼作家との契約を切ったのは二代目や三代目だった。父や祖父がそういう目にあった作家たちが、容易にMさんの依頼に応じてくれるはずもなかった。しかし、後がないMさんは毎日毎日一軒ずつ窯元を回り、少しずつ信頼を得て取引を承諾してもらっていった。

 

Mさんは自分の店を、国内唯一の一流の萩焼抹茶茶碗のみを扱う専門店へと変えていった。すでに萩市内であっても萩焼茶碗の専門店は存在しなかった。萩焼の作家も、抹茶茶碗では食えず、ごはん茶碗や湯呑みや急須、箸置きなどのあらゆる陶器をつくって生計を立て、その収入で本当に作りたい抹茶茶椀を細々と作り続けるような生活だった。そんなときに現れたMさんの、かつて毛利藩ご用窯で作っていたような茶器を今の時代に復活させたいという、熱い思いに共感したのだろう。

 

ただ、一流の萩焼抹茶茶碗を店頭に並べたからといって、お客さんが店に来てくれるわけでもない。既に萩焼の名前だけでお客さんをよべる時代ではないのだ。そこで、Mさんはもう一つ情熱を傾けてきた光悦研究を使って、店にお客さんをひっぱることを考えた。

 

自分が人生を賭けて見つけてきたともいえる、光悦作を信じる茶碗。Mさんは、その後も光悦作の萩茶碗を探し続け、他に2つの茶碗を手に入れたのだ。それらを「萩光悦」と名付け、社会に発信を続けた。

 

Mさんは、日本にふたつしかない陶器の国宝のひとつ、光悦作「不二山」も一般に言われている楽焼ではなく、萩で焼かれた萩焼でなないかと考えている。あの天才光悦が、萩で茶碗を焼いていたことは萩焼に新しい光を当てることを意味する。それが萩焼復活の起爆剤になるのではないか。

 

Mさんはとんでもことを始める。M店においてお客さんに「萩光悦」を有料で見せるというものだ。博物館でもない一陶器屋さんが、お金を取って陶器を見せるなんて、普通に考えられることではない。

 

「~萩光悦研究家Mの主観による~ 光悦茶碗特別鑑賞会」と銘打って、完全予約制、2時間4千円の企画だ。

 

萩焼に興味がなくても光悦に興味はある人は大勢いるだろう。先の三つの萩光悦とともに、光悦が伊賀や瀬戸などで焼いた、合わせて七つの光悦作の茶碗を公開し、Mさんが解説を加える。光悦目当てで来たお客さんも、本物の茶碗に触れることで萩焼のお茶碗の魅力にも目覚めていくかもしれない。

 

店頭には、当代一流の萩焼作家の抹茶茶碗を並べ、お客さんが手に取って味わえるように工夫した。光悦に興味がある参加者は、総じて美意識が高い。本物のお茶碗を有料で体験した参加者のうち、10人に一人でも萩焼のお茶碗に興味を持ってくれればこんなに有り難いことはない。

 

さらには、光悦を入口にして萩焼に興味をくれたお客さんたちに、当代一流の萩焼陶芸家の窯元を案内するサービスを、「萩焼窯元巡りツアー」と称して始めた。2~3時間程度で窯元を2,3軒を巡り、一人2千円。Mさん自らが運転して、窯元を案内する。焼物に興味があっても窯元まで訪ねる人は多くはない。窯元は山間部に点在しているのが普通で、自動車以外ではなかなか周ることはできない。そういった焼物好きのニーズに応えるサービスだ。

 

申し込んだお客さんを最初にM店に案内する。そこで、現代の陶芸家の作品を見せ説明しながら、お客の志向や知識レベル、購入意欲などを把握する。それに基づいて案内する窯元を決めるのだ。さらに移動中、Mさんは好きなだけ萩焼の魅力を話し続ける。密室の車中、お客は逃げることはできない。普段は口下手な方のMさんも、ここ時ばかりは流暢に話し続ける。話したいことが次々に思い浮かぶのに、口が追いつかないもどかしさを感じつつ。

 

萩市は、世界遺産に登録された明治の産業遺産、明治維新のふるさと、空襲にも合わず残った江戸時代の街並み、豊富な海の幸、そして萩焼、これだけ魅力的な素材を持つにも関わらず、街に勢いはなくシャッター通りは増える一方である。Mさんのような新しい発想が、萩の街に活気を呼び戻すことを期待したい。

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このページは、福澤が2015年10月 6日 10:21に書いたブログ記事です。

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