住む街の風景の移り変わり

今住んでいる杉並区のマンションに越してきたのは20年ほど前。この二十年で街の風景は、微妙に変わっています。その変化に、東京の20年の変化が象徴されているように思います。

 

自宅は私鉄の駅から徒歩10分弱で、井之頭通りに面しています。

引っ越してきた当初は、畑がまだ多く残っていましたが、少しずつ宅地になり小さな建売住宅が目立つようになりました。

 

井之頭通りを渡った向いには大きな農家がありました。樹齢300年以上はあろうかという大きな欅などが数本もあり、昔は豪農の屋敷だったのだと思います。

そこも、昨年大型のスーパーマーケットに変わりました。相続税対策だったとの噂です。広い駐車場の端に一本だけ大木が残されているのが、せめてもの救いでしょうか。

 

20年前には、徒歩圏内の通り沿いにはファミリーレストランの店が三店舗ありましたが、今は一つもありません。代わりにできたのは、高齢者用介護マンション、紳士服チェーン店舗、小型マンションです。

 

また、徒歩圏内でかつては通り沿いに中古車ディーラーが3点ありましたが、いずれもなくなり、それぞれユニクロ、オートバックス、スギ薬局になりました。ユニクロは昨年撤退し、今は回転すしチェーンの店になりました。久しぶりの外食店ですが、ファミレスではなく回転すしというのが時代を感じさせます。

 

以前倉庫だったところは、コインパーキングを経てマンションになりました。その一階にはイオン系の小型スーパーが入りました。百貨店の配送センターもいくつもありましたが、すべてなくなりやはりマンションになりました。

 

二軒あったお風呂屋さんはどちらも姿を消し、今はマンション。また、インターナショナルスクールは一昨年移転し、今その建物は学習塾チェーンの研修施設になっています。ただ、余り使われてはいません。3店あった小さな書店は、かなり早い段階でなくなりました。

 

近所に三店あったガソリンスタンドで、今も営業しているのは一店のみ。2店があった場所にはいずれもマンションが建っています。

 

このような近郊の街道沿いの街の風景の変遷から社会の変化が読み取れます。バブル時代、このあたりは住宅にするには地価は高く、また農家がまだ頑張っていため、農地がまだたくさん残っていました。ところが、地価が下がり、また農家の地主の高齢化が進み相続の心配が現実になるにつれて、住宅へと姿を変えました。住宅の都心回帰です。そのせいで、くらしに直結するスーパーが増えました。

 

一方、ロードーサイドでは、20年前はファミリー向けの店舗や百貨店やメーカーの倉庫、物流拠点がなくなりました。ファミリー向けの店舗が存続するには、子供のいる若い家族の存在と、晴れの場を求めるゆとりが必要ですが、高齢化や核家族化と所得減少により、それらの基盤が揺らいだのでしょう。中古車ディーラー消滅も同じ理由かもしれません。

 

倉庫や物流拠点の撤退は、贈答品を中心とした百貨店の売上減少に加え、ヤマトや佐川といった宅配業者の成長があると思います。以前は、各社が自前で配送チャネルを保有しなければならなかったのが、低コストで外注することが可能になったのです。集約されることで配送の効率化が進み、物流の為の土地も大幅に削減できた。これは、ある産業の進化が社会全体を効率化した例でしょう。

 

こうしてあらためて思い返してみると、この20年で私の住む街も大きくその風景を変えていることに驚きます。他の東京近郊の街でも、多かれ少なかれ似たような状況でしょう。これがいいことなのか、そうではないのか、よくわかりません。さらに20年後、この街はどうなっているのでしょうか。

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このページは、福澤が2015年9月 2日 11:28に書いたブログ記事です。

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