ちょうど昨日から、鶴見さんの座談集「昭和を語る」を読みだしたところでした。残念でなりません。

加藤周一、梅原猛、そして鶴見俊輔、私が好きな方(肩書がよくわからないので、方としておきます)に共通するのは、特定の大学の教授という身分を飛び出して、自分の学問的城を築いたという点です。
日本では、有名大学の教授ほど、安穏とした生活ができる職はありません。(もちろん、安穏とせず常に走っている教授もたくさんおられます)それを、蹴ってリスクを取り自分の主張ややりたいことを貫く、それこそが本物の研究者であり思想家だと思います。
鶴見さんは、同志社大学教授だった1970年、大学への警官隊導入に反対して教授を辞任したそうです。また、戦時中は、海軍軍属としてバタビアへ赴任しました。人を殺す命令をされた時のために、毒薬を携帯していたそうです。軍属だから上司の命令には逆らえない(逆らうべきではない)。しかし、人殺しは絶対にしたくはない。だから、自分で自分を殺すしかないと考えていたのです。自律した個人とは、こういうものの考え方をする人なのです。(企業は「自律した個人」を望んでいるといいますが、本当にそうでしょうか?)
雑誌「思想の科学」の意義を振り返るシンポジウムで壇上に立った鶴見さんは、こう述べたそうです。「思想の科学の誇りは50年間、ただのひとりも除名者を出さなかったことだ。」
この言葉に鶴見さんの本質が現れています。思想や主義主張が異なるのはある意味当然のことだが、自分と異なる立場の人たちを絶対に排除してはならない、それが根本の考え方なのです。現在のヘイトスピーチや数の論理で政策を通そうとする政治家の態度は、最も忌むべきものであったに違いありません。
また、固定観念に縛られず、徹底的に自分の頭と言葉で考え抜くことを貫いた人だと思います。常識的には低俗と見られていた漫画やチャンバラといった風俗を真剣に研究の対象としたり、無名の書き手(例えば映画評論家の佐藤忠男氏)を内容だけで評価し支援したり。常に弱者に寄り添い、とにかく自分自身の眼と頭脳と言葉を頼りに、未踏の荒野を切り拓いてきた鶴見さん、こういう人間が社会の進歩を促していくのだと思います。
西郷隆盛のこの言葉が、ふと思い浮かびました。
命もいらず、
名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、
始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、
艱難(かんなん)をともにして
国家の大業は成し得られぬなり。
2004年に、小熊英二氏とともに鶴見さんを3日間インタビューした記録を本(「戦争が遺したもの」)にした上野千鶴子氏は、追悼文で当時を思い出しこう書いています。
最終日、鶴見さんの饗応(きょうおう)で会食したあと、わたしはこんな機会はもう二度とないだろうと、別離の予感にひとりで泣いた。
泣かせます。たとえ世界でたった一人であったとしても、こんな涙をみせる人がいたら、その人の人生は幸福だったといえるでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
鶴見 俊輔
