当事者意識を持て!?

新年度が始まり、街には新入生や新入社員が嬉々として闊歩しているように思えます。この嬉々とした心持を、一日でも長く持ち続けてほしいものです。

 

私にも新入社員(行員)時代がありました。新入行員研修で、「当事者意識を持て」と、ことあるごとに言われたことを思い出します。正直、その時は「当事者意識」の意味は、さっぱりわかっていませんでした。

 

時代を経て、今年のトヨタの入社式でも豊田社長がも、「与えられたどんな仕事、環境でも、当事者意識を持って徹底的にやりぬいてほしい」と語りかけたそうです。

 

その後、縁あって企業の人材開発に携わるようになったのですが、やはりクライアントからは、「当事者意識」というキーワードを頻繁にきくことになります。

 

いつの時代も、どの階層においても「当事者意識」が必要かつ不足しているようです。「オーナーシップ」という英語が使われることが増えてきましたが、本質は同じでしょう。

 

デジタル大辞泉によると、当事者意識とは、「自分自身が、その事柄に直接関係すると分かっていること。関係者であるという自覚。ということだそうです。当たり前の定義です。

 

こういうときは反語を連想します。「他人事」でしょうか。なぜ、他人事となるのか考えれば、当事者意識を持つための方法?が見えてくるかもしれません。

 

・自分が関わっても、その影響力が限りなく小さいと思うから

・自分のやっていることが、全体にどう影響しているのかが見えてこないから

・そもそも、なぜみんなでこんなことをしているのか、その目的が見えないから

・また、目的が見えたとしても共感できないから

 

こんなところでしょうか。それに対して、大人はこう反論します。

 

「そもそも、今のお前に全体像だとか意義だとか、そんなことわかるはずがない。無理だ。俺もそうだった。でも、わからないなりに、じっと我慢してこつこつ続けることで、いつか分かる日が来る。その時、お前は俺に感謝するはずだ。(みんなそうだったんだから)」

 

この考え方も、今の私には理解はできます。でも、これで当事者意識を持てと説得するには無理があるでしょう。

 

上司や会社に対して、絶対的な信頼と敬意があれば、すべてを委ね信じ、よくわからないものの「当事者」となりきることができたのかもしれません。きっと、かつてはそうだったのでしょう。

 

でも、ご存じのとおり、会社に対して「信頼と敬意」を払う時代ではありません。業績悪化すれば、いつリストラ対象になってもおかしくないのですから。ただ、会社に対してそれが持てなくても、ある上司個人には「信頼と敬意」を持てることがあるかもしれません。それで、当事者意識を持たせるやり方。でも、組織の一員である一上司にとって、それは非常に荷の重いことでしょう。

 

そうなると、「信頼と敬意」ではなく別のロジックが必要です。あまり言いたくはないですが、それは、「損得」ではないでしょうか。

 

ただそれは、必ずしも短期的なお金や評価といったインセンティブのことだけではない。人間はそれ以外にも「得」を得ることができる動物です。そうすることで、自分に「いいこと」がある。その「いいこと」とは何か、その活動が「いいこと」に結び付くには、その前提として何が必要か、そのために組織は何をすべきなのか、など会社はもっともっと考え抜くべきです。

 

そう、当事者意識を持つということは、「考え抜く」ことを厭わないこと。個人にそれを期待するのなら、組織がその何倍も「考え抜く」ことは当然です。それがないまま、「当事者意識を持て」といわれても、????ですよね。


(書いているうちに、これは社員と会社の関係だけでなく、国民と政府の関係も同じだな、とふと気づきました。)

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このページは、福澤が2015年4月 8日 10:56に書いたブログ記事です。

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