【学びの軌跡】小野寺寛氏 「経験と想像力とコミュニケーション」

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人の想像力は本当に大したことがないと思います。塩野七生は、「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えているわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない」というカエサルの言葉を引用しましたが、私はそれに「人は経験しなければ事実であってもそれを理解できない。人の想像力には限界がある」ということを加えたいと思っています。

 

人と人とのコミュニケーションにおいて、何でこんなことが伝わらないのだろうかと思った経験を誰でも持っているかと思います。私自身もいつもそのモヤモヤしたものにフラストレーションを溜めていましたが、それは当然のことだったと受け止めなければならないのかもしれません。

 

私の卑近な例で言えば、1999年に日本のメーカーから、PRTMという日本に初めて進出した外資系の戦略コンサルファームに転職し、半年間日本にいるのは私だけ、という時期を過ごしました。その頃2000年の新春を迎えたのですが、当時まだビザの関係でアメリカにいたボスに、「日本では正月三箇日は休日である」と言ったのですが、「そんな法律は見たことがないし、どのカレンダーにも1月1日以外休日のマークがついていない」と一蹴されてしまいました。ほかの会社の事例を出しても全然だめ。「うちの会社は大企業ではないので、大企業のルールを適用することはできない、休みたければ休暇を取れば良いだろう」とのことで、その無理解に憤慨したものです。ところが、2000年にそのボスが日本で生活を始めると、事態は一変。まず12月30日に出勤してくることについて、「何故そんな必要があるのか?クライアントは休みに入っているではないか」と言うのです。


この経験は私にとって、まさに目から鱗が落ちる思いでした。常に対象とする人たちが自分と同じコンテクストで生きているわけではないし、そう考えること自体が傲慢なのではないかと気づいたのです。つまり、相手に想像力を期待してコミュニケーションを取ってはいけないし、ある意味それは傲慢だ、ということを。相手はこれまでどのような経験を積んできているのか、どのようなことが常識になっているのか、また大事だと思っていることは何のかを考えないで相手とコミュニケーションをとることはできません。このような経験からの気づきが、今のコンサルタントとしてのバックボーンになっており、またコミュニケーションについてのスタンスとなっています。

 

今の世の中、どんな素晴らしい考え方も相手に伝えられなければ価値のあるものにはならないものです。コミュニケーションの大事さ、そしてその難しさを痛感した私としては、少しでも多くの方々にそれを理解してもらえたらと思っています。




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小野寺 寛(おのでら ひろし)
モニターグループ バイスプレジデント

慶応義塾大学経済学部

慶應義塾大学大学院経営管理研究科終了(MBA)

同在学中にペンシルバニア大学経営大学院ウォートンスクールに交換留学

NEC、PRTMマネジメント・コンサルタンツ日本代表を経てモニターグループに参画

早稲田大学客員助教授(2005年~2007年)





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