平松洋子さんと「建増し」主義

西荻窪は不思議な街です。中央線沿線特有のゆるーい雰囲気と、ちょっとだけ文化の香りがする、私にとってふらふらするのに最適な街です。西荻在住で食に関する手だれのエッセイスト平松洋子さんには、もう何度も道

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や店ですれ違ったことがありますが、昨日地元NPO主催の彼女のトークショーがあったので聴きにいってきました。同じく地元ライターの北尾トロさんとのジョイントトークです。

 

場所も西荻の文化拠点?こけし屋です。地元ならではのリラックスした雰囲気の中で、楽しい話がたくさん聞けました。その中のひとつ、トロさんが平松さんに、エッセーを書くときには、最初にぜんたいの流れや落とし所をある程度決めて書き始めるのかと質問しました。私も、作家が創造するプロセスに興味があったので、つい前のめりになり回答を待ちました。

 

「最初に大筋を決めてしまうようなことは、ほとんどありません。時にはそういうこともありますが、当社比でうまくいかないことが多いです。ゴールに向かって書いていくと、どうしてもそれにはめようとしてしまい、面白くないものになってしまうようです。何となく書き始める中で、次々思いついていくことが自分でも楽しいんです」

 

という回答でした。平松さんに限らず日本人作家のエッセーの多くは、構築的ではないと感じていましたが、やはりそうなんですね。枕草子にしろ方丈記にしろそうですから。何となく思いついたことを、つらつらと書き連ねる中で、なんともいえないその人の個性が浮かび上がってくる、その風情を読み手も楽しんでいるような気がします。構築された雰囲気を感じるエッセーは、何となく肩に力が入ってしまうようにも思えます。もちろん、そういう書き方をした名作もたくさんあります。

 

MECEを気にしたビジネス文書の類に日々接しているビジネスパーソンにとって、そのつらつら感が心地いいのです。

 

そこで思いだしたのが建築。日本の古くからの建築の特徴は、増築にあるそうです。家族構成が変わったり、志向に変化が出たりしたときに、どんどん増改築していって変化させていくところに、日本に建築の面白さがあります。加藤周一はこう書いています。

 

全体の分割ではなく、部分から始めて全体に到る積み重ねの強い習慣であるかもしれない。別の言葉でいえば、「建増し」主義。建増しは、必要に応じて部屋をつないでゆく。その結果建物全体がどういう形をとるかは作者の第一義的な関心ではない。

 

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桂離宮の美しさは、建増しによってうまれた、複雑なだけではない優美で調和的な全体にもあると書いています。ドストエフスキーの小説の対極にありものと言えるでしょう。

 

平松さんの話から、桂離宮にまで飛んでしまいましたが、日本人の創造性の源は、全体を構築的観点から分割することにあるのではなく、部分の積み重ね、建増しにありそうだと、あらためて思い至ったわけです。

 

日曜の夕方のゆるーい西荻の街は、つらつらと想像を膨らませてくれました。

 

 

PS.5時からこけし屋2階で始まるトークショーを、一階喫茶コーナーでコーヒー飲みながら待っていたところ、すぐ隣の席に平松、北尾両氏が坐り、打合せを始めました。この雰囲気が西荻です。

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このページは、福澤が2012年5月14日 11:42に書いたブログ記事です。

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