恥ずかしい高一の私:ジャパン・ジャム1979

高校一年生の時の自分なんて、滅多に思い出しませんし思い出したくもありません。恥ずかしいことばかりで・・・。

 

サザンオールスターズの原由子さんが、毎週金曜朝日新聞の夕刊に「あじわい 夕陽新聞」というエッセーを連載しています。先週は、再結成したビーチ・ボーイズをとりあげていました。その回のタイトルは、「ビーチ・ボーイズとジャパン・ジャム」

 

んんん~ん、ジャパン・ジャム!?あのジャパン・ジャムか?読んでみると、やはりそうでした。引用します。

 

ブライアン参加のビーチ・ボーイズが来日するのはなんと33年ぶりだそうです。その33年前のライブというのが、19798月に江の島で行われたジャパン・ジャム。光栄なことに私たちサザンオールスターズも出演させて頂きました。

今思えば前座とは言え、ビーチ・ボーイズと同じステージに立たせて頂いたなんて夢のようです。(中略)会場には横須賀から米兵が大勢来ていて大盛り上がりでした。私たちははっぴ姿で「勝手にシンドバットなどを演奏。(中略)ビーチ・ボーイズの演奏はもちろん最高!クライマックスの「ファン・ファン・ファン」の時にはちょうど江の島の向こう側に夕日が沈み、幻想的で忘れられないシーンでした。

 

 

そうです。その場に、高校生一年生の私もいたのです。すっかり忘れていた記憶が一瞬にして蘇ってきました。悪友三人と愛知の田舎から夜行電車に揺られて上京。早朝4時くらいに東京駅に到着。行くところもないので、皇居前広場まで歩きベンチで休んでいました。すると、自転車の警察官に、家出少年と思われたのか職務質問を受けました。もちろん初めての経験。

 

それほど我々はビーチ・ボーイズのファンでもなかったのですが、なぜわざわざ江の島まで野外コンサートを観にいったのかよく覚えていません。出演バンドのひとつ、ハートのほうがどちらかといえば興味があったとのかも。アンとナンシーのウィルソン姉妹を中心としたバン

japanjam.jpgド。サザンはもちろん知ってけど、ふーん出てるんだ、という程度の印象。はっぴを着た桑田が走り回って歌う姿に、なんだか日本代表として頑張っているんだ、という今思えばさめて観ていたように思います。

 

とにかく印象に残っているのは、強烈な日射しの下、ビールを大量に飲んで盛り上がっている多くの米兵たち。近寄ったら殴られそうで、遠巻きに見てました。そうか、横須賀から来ていたんだね。そんなことも知りませんでした。水着姿の女性も多く、高校一年生にはちと刺激的だったかも。

 

そうそう、夜行電車で東京迄来たと書きましたが、でもグリーン席でした。なら新幹線で行けばよかったのに・・。当時は新幹線に乗るなんて贅沢極まりないと思い込んでいたようです。高校生は夜行でいくべし。でも、7,8時間も普通の座席に座り続けるのはしんどい。じゃあ、夜行のグリーン席で行こう、ということになったみたい。金額は新幹線と同じか、多少高かったかも。ほんとにバカですねえ。

 

原さんと同じように、江の島の向こうの夕日は印象深く覚えています。幻想的というよりも、なんでこんなところに自分はいるんだろう、と不思議な気持ちだった。まだ、幻想的とか美しいとか考えるほど成熟していなかったのかもしれません。

 

それほど好きでもなかったサザンですが、舞台でのガンバリに何となく共感したのか、その後好きになったようです。高校2年生になると大学受験の模試をいくつか受けるようになったのですが、志望大学に「青山学院大学」と書いていました。単にサザンが通った大学だったからでしょう。実際には受験しませんでしたが。バカですねえ、ほんとに。

 

PS.上の写真は、ネット見つけた当日の航空写真(PAメーカーの広告)。こんなに大規模だったとは、33年たって初めて知りました。無知!

それから、当日の演奏曲も調べられる。なんと便利な。

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このページは、福澤が2012年5月22日 14:07に書いたブログ記事です。

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