個人レベルでは当たり前だと思うことが、組織(集団)では当たり前ではなくなる。こういう経験は誰もがお持ちではないでしょうか。
ソニーやパナソニックが薄型TVの販売不振を主要因として、前代未聞の大赤字を計上した事実は、その典型事例かもしれません。
エコポイントとデジタル化効果で、薄型TVが飛びように売れていたのは、ほんの1,2年前のことです。どちらの効果も期限が明確であり、終了後はその反動で需要が落ち込むことは、子供でも予想できたことでしょう。なのに、生産調整がかけられなかった。優秀な経営陣が揃っている両社で、なぜそんなことになってしまったのか。不思議ですね。
今朝の朝日新聞で、一橋大学の沼上幹教授がそれをとりあげています。
例えば11年7月を境にテレビを大幅減産して、テレビ部門の人員を他の事業所に配置転換したり、リストラしたりする、という厳しい意思決定は簡単ではない。どれほど厳しい予想数値が事前に出ていようと、実際に血の流れる意思決定を単なる「予想」に基づいて行うのは、二の足を踏まざるを得ないのだ。(中略)「これほど売れているのに、なぜそのような後ろ向きのことを言うのか」と批判的になる人も出てくるだろう。(中略)組織が大規模で、合議的な意思決定を行う傾向の強い会社ほど、意思決定の遅れが深刻化する可能性がある。
これが人間のリアリティーだと思います。慣性で動いているものを止めるには思いもよらない力が必要です。もし止めたことで損害が発生したら、その当事者への責任追及は熾烈となります。一方、止めなかったことで損害が発生(今回のケース)しても、慣性を維持するという「空気」を共有した人々は同罪であり、それはすなわち誰も責任を取れない、取らないことになるでしょう。だって悪いのは「空気」なんですから、「仕方がない」。これが日本の組織の意思決定です。
原発の安全神話もこれと同じメカニズムです。「だって、もう何十年も大きな事故もなく稼働しているじゃないか」原発のケースは低そうな確率の問題でしたが、薄型TVの問題はかなり高い蓋然性でした。それでも動けない。
その根幹には日本人特有の言霊信仰があると考えます。言葉に出した時点でそれが実現するという信仰です。「縁起でもない。そんなことを口にするな」というやつ。誰も望んでいないことは口にしてはいけない。だから神話となる。
ちょうど昨日の日経朝刊にその逆を示す記事がありました。ギリシャ危機に関するIMFの対応の記事です。
「テール・リスクを考えて準備を始めた」。複数のIMF筋がこう明かす。「テール・リスク」とは、確率分布曲線が細るしっぽ部分になぞらえ「想定外」のリスクを示す時に使う。確率は低いものの、いざ発生すれば国際的に大損失が発生する事態。つまりギリシャのユーロ離脱という衝撃をIMFが視野に入れ始めたことを意味する。ある幹部は、「考えたくないが、債権者としては当然の準備」として、ギリシャの債務返済の一時猶予宣言まで見据えた危機シナリオを打ち明けた。
テールであろうとなかろうと、言霊を乗り越えてリスクと真剣に向かいあう勇気を日本の組織(政府も含めて)が持てるかどうか、これがこれからの日本経済および社会を大きく左右することになるでしょう。「先のばし」は高度成長の時にしか通用しないのですから。
必要なのは、ぶれない軸と覚悟、そして勇気です。
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