れほどの名作がなぜボストンにあるのか?と誰もが思ってしまうような展覧会でした。明治維新のどさくさにまぎれて御雇外国人(フェノロサとビゲローら)がカネにいとめをつけずに買い漁ってのだろう、とい

うのは大間違いで、当時日本人が評価していなかった美術品をボストンに避難させたというのが本当のようです。
特に、仏画には素晴らしい作品が数多く展示されていました。平安時代の絵師の技術の高さと想像力の豊かさに、ただただ感動しました。色も思っ
た以上に鮮やかに残っています。これらが、当時廃仏毀釈運動の中でゴミ同然に扱われていたなんて・・・。奈良の東福寺五重の塔が25円で売りに出されたそうです。25円は薪の値段だったのでしょう。なんて日本人は愚かなのでしょう。
さらに、絵巻物も素晴らしい。「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」が里帰り。あまりの人の多さに、詳しくは観ることができませんでしたが、登場人物の表情の豊かさ、色の鮮やかさ、スピード感など、絵巻物の頂点にあると言ってもいい出来栄えです。燃えさかる炎が生き物のように描かれ、観るものの神経をかき混ぜます。
たまたま博物館本館で、国内にあり国宝となっている「平治物語絵巻 六波羅行幸巻」が展示されてい

それから、光琳の「松島図屏風」が、やっぱり凄い。松島は横からの視点で描き、うねる波は斜め上や真上からの視点で描き、それを一隻の屏風の封じ込めている。それをセザンヌやピカソが真似たのでは、と思わせるくらい独創的な構図です。さらに、波がまるで生き物のように生気を持って描写されています。とてもモダンで魅力的な作品です。

最後は、曽我蕭白です。まさに鬼才。融通無碍な筆法は、観る私たちの心までを自由に解放してくれるように感じました。スケールの大きな人だったのでしょう。
それにつけても明治の日本人は、西洋に憧れるあまりか自分達が持っている美的世界観を忘れてしまったことは、本当に残念なことでした。逆にフェノロサのような西洋人のほうが日本の美を理解し保存に努めてくれたのは、ありがたいことであり、幸いでした。
でも、その日本人の特性は今もあまり変わっていないようにも思えます。たとえば、JAPANと英語で表記される漆は、現在どれだけの家庭で日常に使われているでしょうか?これほど美的にも機能的にも優れた素材はありません。せめてお椀だけにでも身近に使いたいものです。
以前輪島を訪れたとき、当地では小学校に入学した子供に、町から漆塗りのお椀が贈られると聞きました。子供用とはいえ、なかなか大したものでした。子供は卒業するまで、それを給食で使い続けるのです。いい話だと思った反面、輪島ですらそうでもしないと子供が漆を日常で使わないのだということに気付き、少し悲しくなってしまいました。(ちなみに、送られる漆塗りのお椀をお土産に買ってかえりました)
そんなことも思い出した、日本美術の一級品を一堂に会した素晴らしい美術展でした。
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