ブリコラージュを促す組織とは

ブリコラージュとは、フランス語で「手仕事」とか「器用仕事」とかの意味だそうです。設計図や理論に基づいてする製作の反対の意味です。

 

フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースは端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、それを「ブリコラージュ」と呼びました。人類の普遍的な知の一つとしてそれを位置付けたのです。彼は、ブリコラージュを「野生の思考」とし、その反対を「栽培の思考」とよびました。人類は野生の思考から栽培の思考へと進化していくことが、半ば常識とされていた時代の風潮に一石を投じたのです。

 

ものづくりにおいては手仕事では追いつかないでしょうが、知の分野においてはブリコラージュが大きな力を今も持っていると思います。ストロースは、未開の人々が、その辺に落ちているモノを拾ってきてそれを貯めておき、何かの拍子に思い出したようにそれらを出してきて、必要なモノをつくり上げる姿に、野生の思考を着想したそうです。それは人間の脳のはたらきそのものではないでしょうか。様々な知識や情報を、意識するしないに関わらず記憶にとどめ、ふとした時にそれらが蘇って役に立つ、そういう経験は、誰にもあるでしょう。

 

雑学王とは、こういうストックが多い人を指すのでしょう。ただ、記憶にとどめておき、それを引き出せるだけでは、それほどの価値は生みません、雑学王がそうであるように。価値の源泉は、必要な時に必要なものを引き出して、他のものと組み合せることを思いつくことにあります。未開の人々も、がらくた集めをしたいのではなく、組み合せて使うときを待つために拾うのです。

 

さて、この「組み合せを思いつく」という能力はどうすれば磨かれるのでしょうか。落ちているモノを、これは何かに使えないだろうかと常に意識して見続けることがひとつ。これには時間的余裕が必要で、成果をすぐに求められると機能しません。辛抱強さが必要です。もうひとつは既存の枠組みや常識をはずして考える癖をつけることです。こっちは発散する思考が必要です。

 

 

今月15日になくなった樫尾俊夫氏(カシオ計算機名誉会長)は、「『必要は発明の母』は昔の警句で『発明は必要の母』であるべきだ。 ユーザー

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がまだ必要性を感じていないものを示して、必要だと感じさせるような 発明をしなければならない」 と常々語っていたそうです。必要から生まれる発明は、「栽培の思考」、必要を生み出す発明は「野生の思考」と言えるかもしれません。

 

見えるゴールに最短で到達するには、合理性に基づいた栽培の思考が有効でしょう。しかし、まだ誰の目にも見えないゴールに到達するにはその方法では無理です。一見すると無駄なブリコラージュを辛抱強く続けられ、しかも凝り固まった眼鏡で見ず既成の枠に依存しない、そんな野生の思考を持った人や組織が必要を生みだす発明ができるのでしょう。

 

それを可能にするのは、やはり強烈なリーダーの存在しかないのでしょうか。あるいは、強烈なリーダーが輩出される組織の仕組み。

 

ブリコラージュ自体は、日本人の特性や感性に合致していると思います。それを促すことができる組織をいかにつくるかが、大きな課題なのでしょう。

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このページは、福澤が2012年5月28日 11:27に書いたブログ記事です。

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