ビジネス書で社会を読む

世の中の状況をざっくり把握するのに有効なのは、タクシーの運転手さんに景気を尋ねることと、定期的に書店で本の売れ行きや売り場の様子を見ることだと思い実行しています。特に、どうしてもビジネス書に関心が向いてきます。

 

今朝の朝日新聞にビジネス書に関するオピニオン特集(一ページ)があり、とても興味深かったです。ヒットを連発している(昨年は計60万部!)小宮一慶さんは、自著を演歌のようなものと位置づけていました。つまり、迷った中小企業経営者が、時々しみじみ聴いて「やっぱりなあ~」と確認するようなもので、中身はどれも同じで構わない。同じ演歌を数十年聴き続けても、また聴きたくなるようなもの。なるほど、と思いました。新しい知識や考え方を伝えるのではなく、常に原点(演歌なら「情」、ビジネス書なら「顧客志向」や「社会への価値貢献」など)を思い出させるツールなのです。

 

また、ある女性ブロガーは、若いビジネスパーソンはビジネス書に「上司」を求めていると指摘しています。確かに、最近「○○○してはいけません」といった指示口調のタイトルが増えています。私などは、「何でそんなこと言われなくちゃならないんだ」と、手にも取りませんが、指示命令を求める若手が増えているのでしょう。上司が忙しくて、彼(女)らに、指示しないことの裏返しなのかもしれません。

 

作家・批評家の唐沢俊一さんは、ビジネス書はビジネスパーソン向けハーレクイ・ロマンスだと指摘します。ヒーローが書く本を読んでヒーローを目指すのではなく、束の間の時間ヒーローの気分を味わいたいというのです。従って、著者も手の届きそうな「なんとなく成功している人」が好ましいそうです。あこがれではなく、同一化対象。なんか、美空ひばりから天地真理(古い!)へ大衆の関心が移ったようなものでしょうか。その背景には、自分はヒーローにはなれない、なりたくないという閉塞感でしょうか。

 

もう一つの指摘は、かつて定番だった「いかに上司とつきあうか」といった人間関係に関する本から、自己啓発本へのシフトが起きているというものです。自己啓発は、潜在的に保有している才能を開花させましょう、そのためには自己改造しましょう、といった他者との関係ではなく、すべて「自分自身」に収斂していく傾向です。つながりを求めるよりも、自己の「能力」を求めるという姿勢です。自己責任論が関係性放棄の言い訳になり、そこから発する漠然とした不安を自己啓発本で癒しているという見方もできるかもしれません。しかし、その先には何が待っているのでしょうか。

 

 

三人の指摘は、どれも納得感がありました。日本のビジネス社会を映す鏡としてビジネス書を見ると、いろいろな発見が出来そうです。

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このページは、福澤が2010年10月15日 10:41に書いたブログ記事です。

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