今、なぜ教養なのか

近頃ビジネスパーソン向けの雑誌や書籍で、「教養」が採りあげられることが増えてきました。採りあげはするものの、「今、なぜ」の疑問に答える記述は、あまり目にしたことがありません。そこで、自分なりの考えをまとめてみようと思います。

 

二つの理由があると思います。ひとつはグローバル対応です。つい最近までの日本企業のグローバル化といえば、輸出、工場設立、チャネル開拓といったのでした。しかし、近年はドメスティックと考えられてきた食品業界や消費財企業までもが、積極的に海外進出しています。それらの業界は地域性が高いため、必然的に海外企業のM&Aが増えています。その結果、日本企業の経営幹部層が、海外企業の経営幹部層と深く付き合う必要性が飛躍的に高まってきています。

 

そういった場面でのコミュニケーションで求められるのは、言語能力以上にコンテクストの共有です。知識はもちろんのこと、価値観や思考スタイル、ものの見方などが、ある程度共有できなければ、本当の意味でのコミュニケーションは成立せず、信頼関係も表面的になりがちです。

 

ここでいう共有すべきコンテクストの多くが、いわゆる「教養」なのです。宗教や歴史、哲学や論理学、科学、芸術、世界経済、政治などあらゆる知識や思考が含まれるでしょう。それらを基盤として持ったうえで、さらに該当するビジネスに関する専門知識や経験知を駆使して、交渉したり説得したりしなければなりません。旧制高校・大学で学んだ旧世代の日本企業経営者は、そういったベースとしての教養は持っていたそうです。彼らが高度成長を支え、世界における日本のステータスを高めてきたのでしょう。

 

しかし、戦後の教育では、圧倒的に教養面が欠如しているのではないでしょうか。自分自身そう思います。下手をすれば高校時代から文系・理系と専門化され、幅広い視点を身に着ける機会は乏しかった。そのつけが、グローバルでの人間的信頼関係構築を迫られた今、回ってきているのではないでしょうか。

 

次にふたつ目の理由。政治、経済、科学、あらゆる面において世界の不確実性が高まっているからです。一昔前までのように、過去の経験を踏襲すれば間違いないのであれば、教養は必要ありません。それよりも、先輩のやり方や限られた業務知識を確実に知って再現できさえすれば良かったのですから。つまり、既定の「ものの見方」や「判断軸」を堅実に守ればよかった。

 

それが現在は、どうでしょう。大自然も含め千年に一回の「想定外」が頻発しています。確実なことなど、何もなくなってしまったかのように。そうなると、これまでの判断軸では対応できません。あらゆる角度からものごとを捉えて、その意味合いを自分自身の頭で解釈しなければなりません。ひとつの物差しでは通用しない時代に突入したのです。

 

そうなると、できるだけ多くの多面的な判断軸を持つことが、生き延びる可能性を高めることになります。その多面的な判断軸を養う、もっとも有効な知識や手段が「教養」にあるのです。だから、今、教養を人々は求めているのでしょう。

 

話は変わりますが、先日バイオリニストの五嶋みどりさんの演奏会に行っ

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てきました。五嶋さんというと、パガニーニなどのクラッシク音楽を聴いてきたと思われたかもしれませんが、そうではありません。現代音楽だけの演奏会でした。テープから流れるコンピューター音との合奏もありました。彼女は今、現代音楽に注力しているそうです。


彼女ほどのクラッシク奏者がなぜ現代音楽なのか。これは私の推測ですが、演奏のレベルをもうワンランク上げるためには、ただひたすら練習するだけではだめで、それとは異なるものに傾倒することが必要だったのではないでしょうか。彼女は既にアメリカの音楽大学の教壇にも立っていますし、自らの財団を設立して途上国での支援活動も行っています。そういった活動も、視野を広げることで彼女の演奏レベルを高めることに役立ってきたことと思います。そして近年、現代音楽の演奏をも究めることで、さらなる高みを目指しているのではないかと思うのです。

 

自分が得意なことを得意な世界だけで継続することは、安全ですし安心です。しかし、さらなる成長はつかみにくい。そこであえてリスクを取って、異なる世界に飛び出してチャレンジすることで成長を促すことができるの。それができるかどうかが、人間にとって大きな分水嶺だと思います。


そういうリスクを取ってチャレンジする精神も、実は広い「教養」によって獲得されるのではないでしょうか。教養は、様々な観点で「世界」の成り立ちを理解するのに役立ちます。だからこそ、既存のひとつの考え方に凝り固まらずに、しなやかに判断し未知のリスクも取ることができる。芸術家もビジネスパーソンも、成長のために教養は不可欠なのです。

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このページは、福澤が2014年10月10日 16:49に書いたブログ記事です。

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