以前にも書きましたが、今リーダーシップほど、曖昧な日本語はないと思っています。人によって解釈がかなり異なるのです。そこで、最近は、その言葉をできるだけ使わず、別の言葉(カタカナ以外)を使うようにしています。
またまた、益川敏英さんの「私の履歴書」です。今朝、師である坂田昌一先生について、以下のような記述がありました。
ある日、私が院生会議の結果を先生に報告することがあり、坂田先生の研究室を訪ねた。用件が済んで部屋を出た後、ノートを置き忘れたに気づき、ノックもそこそこにお部屋に入った。すると先生がモップで床をぬぐっている。さっき私が泥まみれの靴で汚したところの後始末をされていたのだ。
「益川、そんな泥靴で入ってくるやつがあるか」とか「足跡をふいておけ」としかれば済んだ話だが、決してそういうことはおっしゃらない。我々が萎縮せず、気軽に議論をしに来られるように気を使っておられたのだろう。(日本経済新聞「私の履歴書」09/11/13より)
「ドアを開け放っておくので、いつでも話しにこい」という上司に限って、訪ねると「すまん、すぐ出なきゃならん。また来てくれ」。「今日は無礼講だ。言いたいことを言え」というから、恐る恐る言ったら、不機嫌になってしまう。そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか。要するに、上に立つ者が、「自分はこんなにオープンで、寛容なんだ」と思いたいだけなのかもしれません。
本当にオープンで自由闊達を求める上に立つ者は、フォロワーに対して自分の存在感を感じさせないうちに、そうなる雰囲気や状況を作っているものだと思います。「オープンでやろう」と気勢を上げる者ほど、オープンでない者はいません。
益川さんのように、モデルとなる師がいることは幸運なのかもしれません。そう、上に立つ者は、「上司」ではなく、「師」をめざすべきなのです。
上司は、会社のルールで決まる存在に対して、師とはフォロワーが自ら選ぶものです。そして、何らかの理由でrespectされる存在です。どうすれば、師になれるかを考えていけば、「上に立つ者としての振舞い」も見えてくるかも知れません。
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