日本人のものの見方と組織

かつて私たちが20代前半の頃、私たちの世代は新人類と呼ばれていました。今、私たちが同じように呼ばれることはありません。新人類とは、いつの時代も「最近の若者は・・」と嘆くときに使われる呼び方のひとつにしか過ぎないと、今になってわかります。つまり、ある集団の特性はそう変わるものではないのです。社会的な変化よりも、はるかに年齢による変化のほうが大きい。


 一方で、文化による違いはそれより遥かに強固です。それを勘違いすると火傷します。たとえば、「報酬に差をつけることで、従業員のモチベーションが高まり生産性が向上する」と、10年前頃まことしやかに言われ、成果給導入がブームになりました。見本だったアメリカではそうだったかもしれませんが、日本はそうではありませんでした。報酬に少し色を付けてもらうよりも、安定した報酬体系で安心して生活していける給与制度のほうが、モチベーションが高まるのが大多数の日本人だったのです。つまり制度設計の前提となる「ものの見方」が、アメリカとは根本的に異なるのです。これは、世代とか時代によるものではなく、文化に根ざしたものだと思います。海面上に見える氷山は姿を変えますが、海面下の氷山はほとんど変化しない。そこを理解しないで、欧米の制度の真似をしたって、成功するはずがありません。

 

こういう例は枚挙に暇がありません。極論すれば、失われた20年の原因は、ここにある気がします。このような日本あるいは東洋的なものの見方は、厳然として今も存在しています。私自身、ふとした時に西洋人の見方との違いに気づくことがあります。特に感じるのは、空間と時間における見方の違いです。自分を認識する際と創造していく際の二方向において、正反対の見方をするように思います。


まずは、自分を認識する際。我々日本人は、まず全体を認識した後で中身の関係性がどうなっているかの理解を進める。時間も同じです。まず関係する全期間を把握した後で、徐々に細かい時間をみていく。我々は、年、月、日で把握するは、西洋ではその逆です。姓、名前か名前、姓かの順番も正反対ですね。

 

山本七平氏は、これを盆地文化とよんでいました。

「日本人の多くは砂漠や平原ではなく盆地で暮らしてきた。盆地では周囲が決まっている。だからみんな枠という意識ができている。枠が固定しているので、中はあまりきちんとしていたら困る。融通むげがいい。」

 

組織でいえば、上司は新人に、「だいたいこんなことをやっておいて。周りの人たちと相談しながら・・・、」こんな感じで、大まかな枠は与えるのですが、具体的な業務内容は示さない。

 

一方、欧米は違います。まず、中心を把握する。新人はまず上司に確認します。「(周りはともかかく、)私は何をすればいいのか、職務と役割責任を明確にして下さい」というところから始まります。中心さえ定まれば、周囲はあまり重要ではない。

 

絵画も特徴的です。西洋絵画は遠近法がベースです。遠近法とは、今自分の視点から周囲を見ている構図です。自分という中心からの視点。一方、日本古来の絵画では遠近法は使われず、視点はどんどん動きます。一枚の絵に複数の視点から像が描かれる。キュビズムのようです。描く範囲は決まっているけれど、中身は融通無碍。

 

時間の面では、日本人はやはり継続性を重視する。これは長い時間の流れをまず意識しているからなのかもしれません。まとめると、西洋は部分から全体の順番で認識するのにたいして、日本は、全体から部分の順番で認識する。

 

認識した後の作業、なにか新しいものをつくりあげるときは、その方向性が逆になります。例えば、日本の建築は増築を前提としています。部分から徐々に拡大して全体がなんとなく結果としてできる。ジグゾーパズルでいえば、真ん中あたりの部分から徐々に広げていって最後に淵が埋まって完成という流れ。一方、西洋ではまず城壁という枠を築いてから、城内の建物を配置していく。構築的です。

 

日本が行き当たりばったりで(よくいえば柔軟に)創っていくのに対して、西洋は戦略的に最初から全体像を描いて計算しつくしてから創り始める。小説でも、日本は私小説主体ですが、西洋ではドストエフスキーに代表されるような巨大な建築物のような長編小説が得意です。西洋の全体から部分に対して、日本は部分から全体をつくる。

 

部分からということでいえば、日本人は、起点としての「いま、ここ」に非常なこだわりがある気がします。大事なのは、「いま、ここ」であり、それを上回るものはなかなか想像できない。また、「今」をなんとかしのげば、あとは何とかなるという発想も強い。「いま、ここ」は禅の教えの基本でもあります。鎌倉時代から染み付いているのかもしれません。

 

少し話しが飛びますが、日本人の時間価値、すなわち割引率は西洋人のそれより遥かに高いのではないかと思います。投資信託商品では、毎期配当型のほうが配当を累積投資していくタイプより圧倒的人気があるそうです。ファイナンス理論では毎期配当のほうが損なのにもかかわらず。感覚的に、将来のリターンより今のリターンの価値のほうが高い程度が、西洋人よりさらに高い。つまり割引率が高いのだとしか思えません。現世志向というか、今が大事という感覚。

 

「ここ」についていえば、「一所懸命」の言葉で代表されるように、今いる所を守る意識が強い。さらには、「住めば都」でそこへの愛着も強い。いつか、まだ見ぬどこかで壮大な何かを創り上げるということは、発想として持ちにくいのです。新大陸で一旗挙げることを夢見た挑戦者の子孫であるアメリカ人とは正反対です。

 

全体の中で自分がどういう位置づけで、他者とどういう関係があるのかをキョロキョロしながら理解しないと動けない日本人。動くときは、小さな「今、ここ」から積み上げていく方法が得意な日本人。組織として欠けるのは構想力でしょう。大きな絵を描くリーダーが必要です。ただし、そういうリーダーを身内から見つけるのは難しい。なぜなら、そういう素養を持つ者は、これまで述べてきた日本人的ものの見方ではないため、リーダー候補となるまでその組織内に残れないか、あるいは迎合して変わってしまう可能性が高いからです。

 

ここに現在の大企業が陥っているジレンマがあります。

 

やはり、明確な構想を持って打ち出すリーダーよりも、大きな枠だけ示して、社員がなんとなく構想を上にあげたくなるような雰囲気を醸し出す、徳のある「人物」のほうが、日本企業にはあっている気もしてきました。

 

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このページは、福澤が2014年8月18日 16:33に書いたブログ記事です。

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