自由と希望

映画「ショーシャンクの空に」をご覧になった方は多いでしょう。94年の作品ですが、今もレンタルDVDショップでは人気作品だそうです。公開当時、日本でもアメリカでも興行収入はそれほどでもなかったのに。恥ずかしながら、私も先日初めて劇場で観ました。ロングセラーに納得、素晴らしい映画でした。

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ティム・ロンビンス演ずる主人公の無期懲役囚アンディーが刑務所で苦労しながら脱獄する話、と言ってしまえば身も蓋もないのですが、人間の性(さが)を非常に鋭く描いている作品です。私の中に強く残ったのは、希望と自由の関係についてです。

 

1)自由なしX希望なし

無期懲役囚に、自由も希望もありません。そうして囚人を廃人にしていくのだ、という台詞がありました。

 

2)自由なしX希望あり

しかし、アンディーは希望を見つけようとします。それに対して、モーガン・フリーマン演ずる無期懲役囚レッドは、「ここで希望は危険だ」と諭します。希望が叶えられないことがわかっている状況で希望を持つことは、結局自分を追い詰めるのだと言いたいのです。30年以上仮釈放を拒絶され続けているレッドが、自分を守るために思い至った心境なのかもしれません。

 

3)自由ありX希望なし

年老いた囚人ブルックスは、仮釈放が決まり暴れます。刑務所を出たくないからです。半世紀ぶりに壁の外に出て、あてがわれたスーパーで働くブルックスは、やはり苦しみます。今の自分にどう希望を持てばいいというのか。自由であるにも関わらず希望は持てない。いっそのこと自由なんてないほうがいい。そして、自殺します。

 

4)自由ありX希望あり

もちろんこれが最もいいに決まっています。

アンディーの脱獄が成功した後、レッドもブルックスと同じように仮釈放され、ブルックと同じ部屋に住み、同じスーパーで働き、やはり同じように絶望しかかります。ブルックスと違ったのは、脱獄直前アンディが彼にこっそり伝えた秘密の場所を目指そうとの、かすかな希望を持ったことでした。規則を破りその場所へたどり着いたレッドは、アンディーからの手紙をみつける・・・。

 

 

人間にとって、必ずしも自由、あるいは希望があることが好ましいとは言えない。どちらかがないのであれば、両方ないほうが幸せということもありえる。それがリアリティーなのでしょう。今の日本の閉塞感は、自由であるにも関わらず希望が持てない、ブルックスのような人々が多いからなのではないでしょうか。反対に、高度成長の頃は、いろいろ不自由はあったでしょうが、これから良くなるという希望を多くの人々が共有できていた。

 

これから総選挙ですが、政治家の役割は、国民になんらかの希望を与えることです。また企業で言えば、経営者の役割は社員に希望を与えること。一番手っ取り早いのは、利益を沢山稼いで給料を増やすという形での希望です。それができるのであれば、それも一つの方法でしょう。でも、もしそれが難しくなったら、どんな方法で希望を与えるのでしょうか。形式的には自由であっても、希望が持てないのであれば、ブルックスと同じです。だとすると、希望を持つことを目指すよりも、自由を束縛される方を望んでしまうかもしれません。なんだかんだ文句を言っても、「上(うえorおかみ)に決めて欲しい」と、どこかで望んでいるとすれば、既にその兆候があるかもしれません。

 

それが国レベルになると、強いリーダーを求めるという傾向になるでしょう。それが行きつくと独裁者願望になります。そうならないためには、ひとりひとりが自分の頭でよく考えること、そして自分なりの希望を見つけることだと思います。他人がどういおうと、過去がどうだろうと関係ない。自分自身の基準で判断し希望を持つのです。レッドの忠告を無視して希望を持ち続けたアンディーのように。

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このページは、福澤が2012年11月20日 18:49に書いたブログ記事です。

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