「慣れ」をどうコントロールするか

 

大きな失敗は、当初のまだ慣れていない時ではなく、慣れた時に起こるといいます。それは、慣れによって油断が生じるからだと思われます。一方、慣れていない当初は緊張のあまり小さな失敗をすることも多い。

 

企業研修で、複数のクラスがあるため、同じ講師が同じ内容のセッションを複数回、別の日に別の受講者に提供することがよくあります。

 

その場合に、受講者満足度が徐々に上がっていくケースと、逆に下がっていくケースがあります。もちろん講師は毎回真剣に取り組んでいます。その違いはどこからくるのでしょうか?上がっていく理由は明らかです。回を重ねることで改善が進むからです。

 

下がっていく理由として、先に書いたように慣れが油断を生じさせ、緊張レベルが下がりそれが受講者にも伝わることが考えられます。ただ、これは油断して事前準備を怠るということではありません。その点講師は真面目です。油断は、準備段階に顕在化するのではなく、研修中に発生します。講演であれば、関係ありませんが、受講者とのインタラクションを重視して進めるスタイルですと、瞬間の反射神経と集中力が要求されます。それがどうやら鈍るようなのです。慣れは確かにあります。慣れることで、受講者の反応がある程度予測可能になり、それが集中力を低下させるのではないでしょうか。結局、最初の回の評価が最も高かったということはしばしば起きます。

 

これは演劇の俳優にも通じるそうです。平田オリザ著「わかりあえないことから」によると、人間は何かの行為をする時には必ず無駄な動きが入るそうです。優れた俳優は、それを適切に演技の中に入れ込んでいける。この「適切」が難しく、天才といわれる俳優はこれに長けているそうです。

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
平田 オリザ
4062881772

 

普通の俳優は稽古を繰り返すうちに、この無駄な動きが少なくなっていき、結局演出家から「なんだか最初の頃のほうがよかったなあ」といわれてしまう。人間というものは、それじゃいけないとわかっていても、慣れると自分が変わっていってしまうものなのです。講師も同じなのかもしれません。

 

では人間である講師はどうすればいいのか。慣れのメリットすなわち過度な緊張感を抱かないということを残しつつ、適度な緊張感を維持する、それが大切だと思います。そのために、毎回常に自分に課題を課すことです。進め方を毎回少し変えてみるのもいいですし、毎回新しい要素を少し加えてみるのもいいでしょう。そうすることで、改善を図りつつ緊張感も維持できる。

 

ただ、俳優の場合は演出家がそういったアドバイスをできますが、講師の場合多くはその役を担ってくれる第三者がおらず、自分自身のメタレベルでそれを認識しプランを考える必要があります。(私は可能な限り、その演出家の役割を担おうとしています)講師とは、大まかな脚本で受講者という共演者と同じ舞台で演ずる俳優なのです。

 

 

ところで、人間たる俳優はリアルな演技をするために、「適度な無駄」を何度やっても同じように再現させる必要があります。つまりロボット化です。一方、同じ動きしかできないロボットは、プログラムの中に「適度な無駄」を入れ込むことで、人間っぽいリアルな動きを出すことができそうです。人間とロボットが両極端から同じ「リアル」を目指すわけです。この両者が同じ舞台で演劇を行ったらどうなるでしょうか。

 

平田氏と大阪大学の石黒浩教授は、実際にアンドロイド演劇として実行しています。私も先月、アンドロイド版 「三人姉妹」を観てきました。本当の自分と演じる自分の違いとは? 何に人間は共感するのか? 人間と非人間の違いは? などいろいろ考えさせられる舞台ではありましたが、まだ私の中では消化しきれていないように感じます。

三人姉妹.jpg

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このページは、福澤が2012年11月16日 11:33に書いたブログ記事です。

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