センス

「センス」という言葉ほど、わかったようでわからない言葉も珍しい。でも、確かにあります。ファッションであれば、目でその対象を見て確認できるのでわかりやすいですが、こと仕事でのセンスとなると、なかなか把握することも難しいです。

 

サッカー選手にもセンスが求められるといいますが、それは一体何でしょう?今朝の朝日新聞に長友選手の考えがありました。

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その瞬間に一番ゴールに近い選手は誰なのか、次の動きでいい位置に入ろうと思っているのは誰なのか。それが見えなければならない。よく言われる「視野の広さ」とは違う能力だという。ピッチのどこをいつ見ているのかというセンスだ。そこにはひらめきの要素が含まれる。

 

視野の広さは静態的なものですが、彼が重視しているのはもっと動態的かつ心理的で、不確実な未来を洞察する能力だといえるでしょう。「見る」という言葉を使っていますが、「見る」でも「視る」でもなく「観る」だと思います。これは私の解釈ですが、「見る」や「視る」の対象は二次元や三次元なのに対して、「観る」は四次元以上を対象としています。

 

「ピッチのどこをいつ見ている」かは、いったいどうやって決めているのか。質問しても答えられないでしょう。それがセンスです。もちろん訓練の末に獲得されたものですが、いくらサッカーの練習を繰り返したとしても獲得できるとは限りません。

 

なにを磨かなければならないか。それは感性ではないかと長友は思う。練習のない日は、できるだけ体を休めるために自宅で過ごすことが多かったが、最近は気持ちをフレッシュにしておくことを大事にしている。散歩をしたり、カフェでくつろいだり、ブティックに入って店員と言葉を交わしたりして、サッカー以外のことを考える。(中略)一流のサッカー選手になるには、サッカーの技術だけを身につければいいというものではない。

 

サッカーという高い技術と鍛え抜かれた肉体を基盤とする競技の最先端に位置する長友が、自らの能力を高めるために、積極的な意味で「カフェでくつろぐ」と言っているのは非常に興味深い。ここでは、リフレッシュの重要性を述べたのではないだろう。サッカー選手としてのセンスを磨くには、サッカー以外からの刺激が必要不可欠だといいたいのだと思います。人間は、限られた世界からの刺激を受け続けてもどこかで限界がくる。全く異なる世界の刺激から、予期しないヒントや知恵を獲得することで、一皮むけることができるのではないでしょうか。それをわかりやすくいうと、人間の幅や厚みがついたということなのでしょう。

 

それには時間が必要です。一定の時間をかけて、多方面からの良い刺激を受け続け、しかもそれを咀嚼できはじめて「センス」を身につけられるのだと考えます。時間と刺激の量をそれほど必要としないのが天才です。長友は天才ではないかもしれませんが、技術と肉体、体力に加えセンスを意識し出した長友選手のこれからがますます楽しみです。

 

サッカー選手に限らず、あらゆる人にとって「センス」はますます重要になってくることでしょう。

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このページは、福澤が2012年6月13日 16:55に書いたブログ記事です。

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