台風一過で

昨晩到来した台風4号は、未明には東京周辺を通過し、今朝は晴れていました。道路には強風で吹き飛ばされた木の枝や葉っぱが散らばっています。近所の神社では、朝から氏子さんらが集まって掃除に精を出していました。毎年、数回は必ず見られる風景です。

 

風で吹き飛ばされた枝葉には気の毒ですが、この不定期に起こる台風があるから、古い木々も生き続けることができるともいえそうです。弱った枝葉が木に残っていると、元気な葉っぱへの太陽光線が遮断され、成長が妨げられます。庭木や里山で大事に世話されている木であれば、人間が枝葉払いをしてくれますが、多くの自生している木々は人間に頼れません。そこで代わりに台風がその役割を担っているのです。

 

森の間伐も全く同じです。間伐されない森は、日光が当たらず暗くじめじめした多くの生物にとっては好ましくない場所になります。密集する木々が限られた日光を奪うように上に伸びていくので、細く弱弱しいのっぽの木ばかりになります。そんな木は、強風にさらされると、簡単に折れてしまいます。それによって、光は多少射すようになるのですが、折れた木がそのまま放置されると森は荒れていきます。だから、枝葉でなく幹そのものの間伐は、人間によって計画的になされる必要があります。林業従事者は、それを主要な仕事にしています。

 

台風一過、こんなことを考えていると、人間も企業も全く同じだなあと感じます。企業における台風とは、リーマンショックのような、予測できない急激な経営環境の悪化でしょう。いつ来るかは予測できませんが、必ず来るものです。その時に、自然の流れに沿って枝葉を払うべきです。それが、次の成長の糧になるのですから。しかし、人為的な組織である企業は、頑張って風に逆らい枝葉を残すことを選びます。そして自然死するまで温存するのです。また、間伐もそう簡単には行えません。

 

企業にとって枝葉が社員だとすれば、自然死とは定年を意味します。企業にとっては望ましくないでしょうが、社員にとってはありがたいことにようにも思えます。

 

視点を変えて、人間(社員)が木だとしましょう。年数を経て、たくさんの枝葉をのばしながら成長します。その中で「会社」という枝だけをどんどん伸ばすと、それに妨げられ他の枝の成長は妨げられ、いびつになった幹の成長そのものも遅くなります。時々訪れる台風で、大きな枝が間引かれればいいのですが、そこは頑張って踏みとどまります。やがて、その大きな枝は自然死を迎えます。その重さに耐えられずバッサリ落ちた大きな枝、やっと他の枝にも光が当たるかと喜ぶのですが、既に他の枝葉は長い間光があたらなかったため、死んでしまっていた。本当は、もっともっと大きな枝に育つ可能性があったかもしれない枝も、です。そして幹の成長も止まっていた。なんとか、子孫を残すことはできたものの・・。

 

 

先日、銀行時代の同期に電車でばったり会いました。彼は新任支店長研修を受けた帰りとのこと。一店舗だけ支店長をやらしてもらって、2年後には出向だと言っていました。限られた役員候補以外はみんなそうなのです。(ちなみにそこの銀行員は40歳になると全員「キャリア研修」を受けます)もうそんな年齢かと、知ってはいましたが、あらためて驚きました。出向したからといって、生活に困ることはありません。でも、彼は出向した後、どんな枝を伸ばしていくのでしょうか。もちろん体力も知力もまだ十分なので、いろんな可能性はあるでしょう。でも、今更もう遅いという諦めも一方で抱いているようです。

 

これは大変な人的資源の無駄遣いではないでしょうか。誰が悪いということではありません。自然の摂理に合わせて、枝葉を適宜落としていれば、森全体でみればもっと健康で充実したものになっていたはずです。そう、多くの種類の活力ある木々で満ち溢れた森に。そこには、鳥やリスなど多くの生き物も集まってきます。

 

人間も大自然の一部なのだと、あらためて感じました。

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このページは、福澤が2012年6月20日 11:53に書いたブログ記事です。

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