昨日、広島市で開かれた日本母親大会で、女優の吉永小百合さんが以下の発言をしました。

「原子力の平和利用という言葉がよく使われていて、私自身あいまいに受け止めていた。『もんじゅ』は恐ろしいと聞いてはいたが、普通の原子力をもっと知っておくべきだった。地震の多い日本では原子力発電所をなくしてほしい」。
原爆詩の朗読をライフワークとする吉永さんですが、はじめて原発について言及したそうです。人気商売の芸能人が、政治的発言をすることはリスキーです。実際俳優の山本太郎さんは、それで所属事務所をクビになったそうです。
しかし、吉永さんは自分自身の良心に照らし合わせて、普通に考えておかしいと思ったからにはもはや発言を抑えることはできなかったのでしょう。多くの日本人が、同じような状況にあると思います。
経団連会長は、脱原発に怒りを露わにしています。どこかで似たようなシーンを見たなあと思っていましたが思い出しました。震災直後に開幕を予定通り開催を決定したプロ野球セリーグのオーナーたち(特に読売)の姿です。これまでのパラダイムであれば、彼らの主張も決して非合理ではありませんでした。しかし、パラダイムが変わっていることに気づかないのは、旧パラダイムでの成功体験が大きい彼らの宿命なのでしょう。憐れといえば憐れです。
使用後のゴミの処理方法がないにも関わらず、ゴミの出る作業をし続けることの異常さに、多くの日本人が「普通の感覚」でおかしいと思うようになったのです。これまでは、「お上がおかしなことをするはずはない」との前提がありました。それが、3.11以後大きく崩れたのです。
東電が発表したこの夏の電力使用量予測も、いいかげんな数値だったことが、今朝の朝日新聞に書かれていました。いい加減とは、発表する側の東電や経産省に都合がいい数字にするための「いい加減」です。
これからは子供が持つような「普通の感覚」で、大きな政治的判断もしていくべきなのでしょう。「大人の判断」は、もうこりごりです。
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