想像力とリーダーの覚悟

セコム創業者の飯田亮さんが日経ビジネス6/6号で、率直に語っています。

震災後の危機対応がいかに迅速だったかといった企業記事は多いですが、トップ直々にダメだったと認めることはとても珍しい。そこに飯田さんの大きさを感じます。飯田さんは、失敗の原因を想像力の欠如に求めています。長いですが引用します。

 

 

世の中、想定外という言葉は使ってはいけないんですよ。そうすると、免罪符をもらったように、何もかもが終わりになっちゃう。

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経営というのは、想定外をつぶしていく作業です。「そこまでやってできなきゃ仕方ない」と淡白に考えるか、想定外をつぶすためにエネルギーを注ぎ込むか、それが企業の成否を分ける。

 

その時に必要なのは想像力だよね。今回の震災をみていても社会全体が想像力を失っているように見える。(中略)

 

私はね、想像力というのは思考の粘着性から生まれると考えているんですよ。あきらめずに考え抜く。その粘着性が想定外の領域をつぶし、新しいビジネスを生み出していくわけでね。日々の仕事に流されている時には想像力は必要ないんですよ。

 

 

知的強靭さは、成功するビジネスパーソンに共通する資質だと認識していました。徹底的に考え抜くことができなければ、自信を持って意思決定できません。「できる人」は、そういうしつこさを持っています。それができれば、最後の最後は神に委ねることができ、冷静でいられます。

 

飯田さんは知的強靭さとほぼ同じ意味あいで思考の粘着性という言葉を使っていると思いますが、想像力もその成果だという着眼は新鮮でした。想像は偶然やひょんなきっかけでできるものではなく、粘着の結果できるものなのです。

 

 

さらに、「妄想」と「想像」は異なる、そこを共通認識として持つべきです。20mを超える津波を妄想するのではなく、想像するのです。

 

「妄想」とは、そのひとことで斬って捨てるために使われます。なぜ斬って捨てられるのか、それは「常識」に反するからでしょう。では「常識」とは何か?それは「多くの人々に信じられている考え」といえます。では、なぜ「多く人々に信じられている考え」に従うのか。それは責任回避の気持ちが少なからずあるからではないでしょうか。判断を「多くの人々」という他者に委ねることで、失敗しても自分の判断力のせいではないと責任を回避できるからです。

 

いうまでもありませんが、リーダーといわれるような人は、安易に常識で判断し、他者に判断を委ねてはいけません。そんなことをしても、リーダーの責任からは逃れられません。なぜなら、リーダーは結果がすべてだからです。つまり、リーダーに(好ましくない事態に対する)妄想という言葉はあってはならず、想像を膨らませる義務があるのです。もし、間違ったら仲間を死に追いやることにもなるのですから。リーダーの覚悟とはそういうものです。

 

 

「想定外」という言葉は、そういったリーダーの責任を回避するためのものだったのです。飯田さんに、そう教えられました。震災以来、想定外という言葉になんとも言えない気持ち悪さを感じていたのは、そういうことだったのだとわかりました。

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このページは、福澤が2011年6月 9日 17:28に書いたブログ記事です。

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