ルーティンと思考

イチロー選手が打席に入るとき、毎回必ず同じ独特の運動をしますね。あれがルーティンです。それをすることで、打席に集中することができるように見えます。

イチロー1.jpg

 

ルーティンと集中はどのような関係があるのでしょうか?ルーティンとは考えなくても自然にできる動きです。「考えなく」というよりも「考えない」ことが集中に効く気がします。あえて考えないために、身体を作動させるとも考えられます。

 

昔からひらめきは三上でうまれるといいます。枕上、厠上、馬上です。枕の上はリラックスと睡眠によって頭が整理されることによるのでしょう。トイレは、狭い密室空間がいいのか、・・よくわかりません。馬の上は、現代なら自動車を運転しているときでしょう。私も、運転中はいいアイデアがうかびやすい気がします。あと、散歩中。

 

運転中に考え事をしては危ないと怒られそうですが、運転に必要な注意力は無意識に発揮しています。それは確信があります。ただ、あとで思いだせないだけです。こういう、ある意味思考の自由が制約を受けている状態のときに、よいアイデアが浮かぶのです。

 

逆に、頭も体も余裕があり「さあじっくり考えろ」というときはダメです。不思議です。

 

私の仮説なのですが、そういう余裕のある時はいろいろ複数の別のことをコマ切れに考える、言い方を変える

と、少し考えてはまたすぐ別のことを考えることを繰り返すような気がする、ようは集中してないのです。思考のキャパに余裕があると、ついそんな頭の使い方をしてしまう。でも、聖徳太子でもあるまいし、同時に多くの思考はできない。だから、だめです。

 

ところが、運転したり乗馬したりして一定量の注意力を使用していると、思考のキャパが小さくなるので、そもそも複数のことを考えようとはしなくなる。したがって、ある一点に思考力を集中させることが容易にできる。だから、よいアイデアが浮かぶのではないでしょうか。私は靴磨きをしているときも、運転中と同じようか感覚があります。身体と思考は、こんな風に連結しているのかもしれません。

 

さて、イチロー選手に話を戻すと、彼のルーティン運動も打席に集中し思考を活発にする上では、同じような作用を果たしているのかもしれません。そして、それが次

イチロー2.jpg

の身体動作の呼び水となる。私の運転や靴磨きとイチロー選手の運動を同じレベルで語るのは非常に僭越ではありますが、そんな感じがしています。

 

身体と思考の関係、なかなか深いテーマだと思います。

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このページは、福澤が2011年6月 6日 17:27に書いたブログ記事です。

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