科学で自然に立ち向かえるのか

東日本大震災という名称とはいえ、地震よりも津波の被害のほうが遥かに大きいことが次第にわかってきました。

 

先週日経の夕刊に、小さなこんな記事がありました。要約すると、

 

岩手県宮古市の約110人(約四割が65歳以上の高齢者)が暮らす角力浜町内会は、漁業への懸念から防波堤を造らなかった。その代わりに実践的な避難訓練を繰り返し、今回犠牲者を一人に留めた。年一回に全住民を対象に

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した避難訓練は、足の不自由な高齢者をリヤカーで搬送したり、実際の避難経路を歩いたりしてルートを確認したりした。その結果、大半の住宅が全半壊したにもかかわらず、大半は高台に逃げ無事だった。(右の写真は震災前の角力浜です)

 

この町内会の住民は、津波の恐怖は十分理解したうえで、堤防で津波を克服することを選ばなかったのです。堤防により漁業が妨げられることが最大の理由でしょうが、そもそも人間がどれだけ強固な防波堤を造ってみたところで、「自然の力にかなうはずがない」との価値観が、代々受け継がれてきたのではないでしょうか。そのうえで、津波という自然の脅威に正面から立ち向かうのではなく、謙虚にひたすら「逃げる」ことに絞ってきた、それが住民の生きる知恵だったのでしょう。

 

「想定外」が再び(以前はホリエモン)流行語になりそうですが、所詮人間の想定など大自然の前ではあまりに矮小なのです。それに対して、原子力安全委員会委員長がかつて発言したように「割り切るしかない」のか、それとも謙虚に自然の脅威を受け入れて、科学ではなく「人間の知恵」で生き延びる方法を考えるのかの大きな分岐点があった。(原発であれば科学による安全神話を盲信するのではなく、事故が発生することを前提に対策を練っておく)そして角力浜の住民は、科学ではなく知恵で生き残れたのです。

 

ちょっと大げさかもしれませんが、人間は自然を征服できるという西欧由来の科学万能主義の限界が露骨に現れたのが今回の震災だったように思えます。科学の粋を集めた原発の事故が、さらに追い打ちをかけている。

 

自然を畏怖しながらも共存してきた我々日本人の祖先の価値観や知恵を、新ためて評価し現代に取り入れることをすべき時なのかもしれません。

 

 

一昨日の深夜、大きな月が林を照らし、木々の月影が神秘的に浮かび上がっていました。厳かな、そして研ぎ澄まされるような不思議な感覚でした。古来日本人は、月の光に特別の意味を見出してきました。東京の夜は明るすぎて月光も月影もみることはほぼ不可能です。なぜそこまで明るくする必要があるのか、明るくすることで失うものもたくさんあるのではないか。薄明るい夜の林を眺めながら、できるだけ自然に逆らわず自然と寄り添って暮らすための知恵を、これからは身につけていかなければならないと感じました。

 

原発で世界に恐怖を与え続けるであろう日本が、これからの世界に貢献できるものがあるとすれば、古来からの自然との共生を現代の生活に活かす知恵なのではないでしょうか。

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このページは、福澤が2011年4月18日 17:31に書いたブログ記事です。

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