居酒屋の勲章

日本中、至るところで絆が広がっています。こんなところにも・・・。


震災後、なんとなく飲み屋から足が遠のいていましたが、昨晩久しぶりに西荻窪の居酒屋「野人料理 風神亭」にいきました。帰り際、壁に幼い字で書かれた手紙が一枚貼られており、何かと思い読んでみました。最初には、「東京のいざかやさんへ」とあります。とても丁寧な文字で綴られています。(一緒にいた妻に言わせれば、私の字よりはるかにうまい)

 

どうやら、お店の人たちが避難所に出向き炊き出しをした、そのお礼の手紙のようでした。

 

お店のブログから転記します。

 

「東京のいざかやさんへ そばめしとけんちんじるあたたかくて、とってもとってもおいしかったです。じしんの時ガラスがバリバリわれて、そしてすぐにはい色の水がごみといっしょにながれてきました。家の中にも水が入って来て、しぬかと思いました。でんきも水も食ものもないけいけんは、はじめてでこわかったです。でもいろんな国や日本中の人たちから、たくさんたすけてもらっていることがわかりとってもうれしくなりました。今日食べたそばめしと、けんちんじるのあじはわすれません。ありがとうございました。貞山小学校二年一組 宮嶋亜美」

 

帰り際にこれを読み、お酒も多少回っていましたが、とても温かい気持ちになりました。

 

 

あとで 店のブログを見てみると、そには、社長の熱い想いが書かれていました。一言でいえば強烈な喜びです。そちらも転記します。

 

材料全て無くなり、虚脱感に包まれて一服をしているときに、とても可愛い少女とその母親がやって来て、「本当にご馳走様でした。ありがとうございました。」と礼を言われた。その少女は体育館で手紙を書いてくれていた。(中略)

 

長い人生を生きてきて嬉しかったことも何度もあったが、これほど嬉しかったことは初めてだった。無位無冠を認じていたが立派な勲章持ちになった。たかがしれた金。たかがしれた疲れ。そんな私事(わたくしごと)の全てを吹き飛ばす喜び。物を作って人に喜んでもらうことのできる喜び。物を作ってさえいれば、飛ぶ鳥の様に、海賊の様に、自由だと感じている。物を作っていると楽しくなる。楽しんでいる光源となるからそれが人に映り、楽しみが移る。地震も津波も原発も、そして人の生き死にさえも忘れて物作りに没頭する。それが飲み屋風情のできることと確認をし、満足をする。

 風神亭という私の人生そのものの物を作る場としての飲み屋。その存在意義を幼い字で一生懸命書いてくれた少女からの一枚の手紙が答えてくれた。「ずっとやっててね」と許してくれた気がしている。これで平常に戻れる。物を作り、つまらぬことを書いて、細く永く支援を続け、10年か20年後の今の若い子達が大人になった頃の今よりもはるかに良い国となっているだろう日本、を夢見て暮らしてゆくことに決めた。

 

 

よく、励ますほうが励まされたという話を聞きますが、こういうことなのですね。こういう心のやりとりが、今至るところで行われているのでしょう。うらやましいと思います。

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このページは、福澤が2011年4月15日 10:28に書いたブログ記事です。

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