危機のもとでのリーダーシップを分けるもの

すでにどちらも少々旧聞に付すようになってしまいましたが、チリ・サンホセ鉱山からの救出劇と、メキシコ湾沖原油流出事故ほど、対象的なリーダーの能力を見せ付けられたことは近年ありません。

 

救出された現場監督ルイス・ウルアス氏は、極限状態の中で的確な判断を

amr1010142353020-n1.jpg

続け好例でしょう。危機の中で新たな管理体制を築き、鉱夫を3チームに分けそれぞれにルーティーン業務を割り当てました。食糧の配給も、見通しに合わせてその量をコントロールしていました。地底での意思決定は一人一票として、団結を最優先しました。絶望の中で、秩序と規律と団結を生み出したのです。そして、何により力になったのは、彼が最後まで救出用カプセルの乗らなかったことに象徴されるように、メンバーに奉仕する姿勢です。

 

また、初めて地上と交信が取れたとき、こう発しました。「我々は大丈夫だ。助けを待っている。」大丈夫なはずはありません。泣き叫んで助けを求めても不思議ありません。しかし、他のメンバーを平静に保たせるように、自制した発言をあえてしたのでしょう。

 

一方、原油流出を起こしたBP社のトニー・ヘイワードCEO。彼は事件発生後こう発言しています。

 

「メキシコ湾はとても大きい海だ。流出した原油と分散剤の量は、海水全体の量と比べれば微々たるものだ」

「私はこの災害の環境への影響は恐らく非常に小さいと思う」

「誰よりもこの問題の終結を望んでいる。私は自分の生活を取り戻したい」

 

最後の発言は、数年前不祥事を起こした食品会社社長が、「私は寝ていないんだ!」と叫んだシーンを思いおこさせます。また、福田元首相がしつこく質問を繰り返す記者に、「私はあなたとは違うんです」と発言したことを思い出しました。平静の時であれば、彼らもこんな発言をすべきでないことを認識しているはずです。しかし、極度のプレッシャーは、リーダーの判断力を奪うのです。

 

ウルアス氏とヘイワード氏の差は何だったのでしょうか?胆力、ストレス耐性、経験などいろいろ考えられますが、つきつめれば、「人としての品格」なのではないでしょうか。もう少し言い方を変えると「美意識」といえるかもしれません。真かどうか、善かどうかの基準ではもはや判断できない状況はあると思います。最後の最後は、美でしか測れないような気がします。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 危機のもとでのリーダーシップを分けるもの

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.adat-inc.com/cgi-bin/mt-tb.cgi/395

コメントする

このブログ記事について

このページは、福澤が2010年11月15日 10:38に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「尖閣諸島沖での中国漁船追突映像流出に思う」です。

次のブログ記事は「フォロワーシップ:追悼 梅棹忠夫さん」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1