アボリジニと日本の農政

大学2年の夏休み、一か月ほどオーストラリアを貧乏旅行してきました。初めての海外旅行で何もかもが新鮮に見えた気がしました。オーストラリア大陸の大

アボリジニ.jpg

部分は砂漠ですが、中央部にエアーズロックという巨大な岩があります。そこに至るには、アボリジニという先住民族が居住する地域を通っていかねばなりません。長距離バスで移動していた私も、バスでそこを通りました。道端には、昼間から酒を飲み酔っ払っているアボリジニが大勢、ふらついています。中には、木などに動物などを描いた作品(現在はアボリジニ・アートとして人気)

を販売している人もいますが、多くは単なる怠け者にしか見えませんでした。

 

知り合ったオーストラリア人に聞いてみると、政府が先住民の土地を利用してうる代償に、保護区を定め、そこのアボリジニには金銭保障もしているとのこと。だから、昼間から酔っ払っていられるのです。でも、保護することで彼らをスポイルし、近い将来アボリジニはいなくなってしまうのではないかと、その時強く感じました。保護することで絶滅させる。意図的にそれを狙っているのか、善意でやっているのかは分かりませんが、一瞬背筋が寒くなったことを覚えています。

 

なんでこんなことを思い出したかというと、先日(10/3)NHKのETV特集 「なぜ希望は消えた? -あるコメ農家と霞が関の半世紀」という番組をみたことと、突然現れたTPP騒動のためです。

 

当人は良かれと思い行ったことが、巡り巡って悲惨な結果を招く。システム・シンキングでは「応急処置の失敗」と呼ぶシステム原型です。それを日本という国家が半世紀にわたってきたのが農政なのです。もちろん、そんな単純な問題ではなく政治や経済状況など、様々な問題が絡み合っていることは事実です。しかし、本質は「応急処置の失敗」に違いないでしょう。

 

政治とは、「応急処置の失敗」にならないように、そうなりがちな大衆を説得して、長期的繁栄の仕組みを作り、実行させることだと思います。それが、ますます近視眼的になっているような恐怖すら感じます。ステーツマンはどこにいるのでしょうか?

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このページは、福澤が2010年11月 1日 11:09に書いたブログ記事です。

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