以前にも書きましたハーバード大学のサンデル教授の特別講義が、先週金曜夜にアカデミーヒルズにて開催され、参加してきました。会場いっぱいの参加者は著書を出版している早川書房とアカデミーヒルズからの招待者とメディア関係者という顔ぶれでした。年齢層もばらつきが大きいようでした。
スタイルは、NHKでも放映された「白熱教室」と同じですが、同時通訳が入っているということもあり、白熱とまでは残念ながらいきませんでした。
サンデル教授の講義で関心したのは、発言者の名前を確実に記憶していることです。発言者は、最初にファーストネームを言ってから発言します。彼にとって日本人の名前は大変覚えにくいでしょうが、ほぼ間違いなく覚えていました。
もう一つは、多少ずれた発言に対しても、しつこく問いかけを繰り返すことにより、意味のある発言を引き出す技術です。
普通教壇に立つ人は、自分なりの進行イメージ(ストーリー)を作成し、落とし所を決めて臨むはずです。ストーリーは一本とは限りませんが、数本でしょう。そこから大きく外れると、混乱し不快感をあらわすこともあります。極端な場合は無視します。サンデル教授は、全体そうはしません。だから、多くの受講者が発言を求めて挙手するのです。
彼のストーリーイメージは、数本の線ではなく、縦横に広がるメッシュのイメージでした。各は発言者をそのメッシュの特定の場所に置いておきます。決して放置しません。そして、議論の展開がそちらに向かったりすると、前の発言者に再び質問したりします。発言者をメッシュ地図上に置いておくために、発言者の名前を記号として記憶する必要があるのでしょう。
このように、一言でいえば大変懐が深い講義の展開なのです。そのためには入念な準備と集中力が必要です。それを文化的背景も異なる日本で、しかも一発勝負で行って成功させるのですから、やはりさすがです。
一方、発言者側の特徴で感じたのは、論理的説明に慣れていない人が多い点です。言葉での勝負になれば、論理性は必須です。思いは強いのだけど、うまく言葉で組み立てられないもどかしさを、何人もの発言に感じました。これは、そういう学校教育や職場での訓練を受けていなければ、仕方がないことなのかもしれません。
ただ、このような思考を促す対話型クラスは、講師の能力さえあれば日本人相手でも十分可能です。政治哲学ですから正解があるわけでもありません。正解を求める傾向が強い我々日本人ですが、終わったあとの参加者の様子を見る限り、うまく思考を強いられたことで大変満足していようでした。慣れていないだけに新鮮でもあったのでしょう。
やはり、問題は教える側の能力が全然追いついていないことでしょう。あらためてそれを痛感しました。
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