情報技術進化と人の成長

時間があると時間がない。記録に残すことができると、頭に何も残らず記録も活かさない。選択肢があまりに多いと、結局いつも同じものの中から選択する。情報の量が多過ぎると、情報が乏しいのと同じ結果になる。こういうことって多くはありませんか?

 

 

人が学習するには、「適切な」情報を「深く」認知することが欠かせません。適切な情報を入手する際に、技術進化は役立つことでしょう。その他の条件が一定であれば、適切な情報を入手できる可能性は飛躍的に高まっていることは間違いありません。

 

しかし、何が適切であり、どこからどういう基準で選択するかは、そのひとの思考能力と意欲次第です。情報入手環境が進化したがために、最も重要なヒトの思考能力と意欲が低下したとしたら、本末転倒です。例えば、コピペでレポートを仕上げることに慣れた大学生は、その罠にはまるかもしれません。

 

 

次に、「深く」認知する能力です。文脈を読んだり、発信者の思考プロセスを読みとり、それを自分の課題に対して、過去の経験に照らしながら意味付けしな内面に織り込んでいく力と言い変えることができるかもしれません。この力も、見かけ上の情報環境進化ゆえに、おろそかになっていないでしょうか。

 

アナログの極みの読書が面白いのは、書き手の思考世界に入り込み、そこで膨大な時間を過ごすことにより、相手と対話し知的絆を育むことができるからだと思います。小説であっても、ノンフィクションでも、あるいはビジネス書でもそれは変わりません。人類は、数千年前からこのような営みを繰り返してきたのです。

 

このような営みを実現させるのは想像の力であり、感受性でしょう。そして、想像力を起動させるエンジンは好奇心です。

 

どれだけ便利な世の中になっても、思考力と想像力、感受性、そして好奇心を高く保ち続けなければ、人は学習し成長することはできないのです。

 

結局、情報技術がどれだけ進化しても、人間はしょせん人間であり、古代からそう進化しているわけでもなさそうです。いや、それどころか、技術進化が人間の退化を促すのかもしれません。

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このページは、福澤が2010年7月 9日 10:06に書いたブログ記事です。

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