ミクロからマクロが見える:「クアトロ・ラガッツィ ~天正少年使節と世界帝国」を読んで

クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国
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若桑みどり著「クアトロ・ラガッツィ ~天正少年使節と世界帝国」をやっと読了しました。本書は、2003年刊行されすぐ購入したのですが、本文526ページの重さのためか、ずっと本棚に置きっぱなしでした。ところが、その間著者の若桑さんは亡くなり、本は文庫化され、妻が先に文庫で読了してしまいました。それで、やっと重いこの本を手に取ったというわけです。

 

読了して思ったこと、もっと早く読めば良かった。イエズス会関係の膨大な資料を丁寧に読み解いて描いた世界は、私のこれまでのなんとなくの疑問に答えてくれるものでした。

 

なぜ、信長は南蛮人を好んだのか。逆になぜ秀吉や家康は彼らを憎んだのか。なぜ光秀は信長を討ったのか。なぜ、わずか数十年で、キリスト教は九州を中心の大名から農民にまで浸透したのか。そして、隠れキリシタンと呼ばれる信者は、なぜ迫害のもとで信仰を捨てなかったのか。なぜ、日本はポルトガルやスペインは、他のアジアの国々に対するように植民地化しなかったのか。なぜ、江戸幕府はオランダだけに出島を与えたのか。などなど。

 

また、桃山時代の少年がローマに行ったということは、歴史で習ったような気がしますが、まるでおとぎ話のようにしか捉えていませんでした。しかし、それは事実であり、グレゴリウス歴で知られる法王グレゴリウス十三世や世界帝国スペインのフィリップ二世にも謁見しているとは!学校でならった日本史と世界史が見事につながった!当時の日本も、世界の変化と無関係ではなかったのです。まるで、現在のように。もし、そのまま日本が世界に開いていたら、鎖国していなかったら、日本や世界はどうなっていただろうと、想像せずにはいられません。

 

著書の若桑さんは、資料を丹念に読み解くうちに、少年使節の4人と友人になったかのようです。それだけ、魂が込められています。歴史を扱いながらも、著者の思いや主観が、溢れる部分があります。その言葉は、強く心に刺さります。

 

イエズス会の偏執的なまでの報告義務と収集癖が、歴史に名を留める有名人(信長、秀吉、高山右近、利休、フィリップ二世・・・)のみならず、無名の人々の言動までも記録しています。それらを丹念に読み解く、まさにミクロの活動が結果としてマクロの姿、つまり16,17世紀における日本と世界の姿を見事に描いているのです。ミクロを突き詰めるとマクロになることが、実感されます。上っ面だけの抽象論や空中戦では、なにも本質には到達できない。これは、塩野七生さん著作にも共通することですが(なぜか二人ともイタリア語が堪能な女性)本書を読んで、あらためて感じました。若桑さんは、刊行4年後の2007年に亡くなってしまいましたが、本書を世に出すことできてきっと本望だったことでしょう。

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このページは、福澤が2010年6月 6日 08:59に書いたブログ記事です。

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